猫町通り通信は、本保弘人が、日々の記録、劇評、コンサート評、音盤評、映画評など様々な事柄について書き連ねていく日記です。

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4月28日(日)

西宮北口の兵庫県立芸術文化センターへ。展示などが行われるpocketと呼ばれる小スペースでは、兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオーケストラ)のメンバーによる来シーズン(PACオーケストラは欧米のオーケストラ同様、9月がシーズンの始まりである)の定期演奏会で取り上げられる好きな曲目などが紹介されている。日本人のメンバーが多いが、カナダ・アメリカの二重国籍や、韓国、中国、シンガポールといったアジア勢、イタリアなどのヨーロッパ出身者、中にはウクライナ出身のメンバーもいる。在籍メンバーの出身地別表も展示されていたが、日本人の次に多いのはヨーロッパ出身の奏者のようだ。
来年度の定期演奏会の曲目も紹介されており、芸術監督の佐渡裕が指揮するマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」、鬼才カーチュン・ウォンの振るマーラーの交響曲第6番「悲劇的」などマーラー作品が目立っている。

卒団して活躍している元メンバーも紹介されており、大阪交響楽団の首席フルート奏者となった三原萌からのメッセージの載せられている。一昨日聴いた大阪交響楽団の定期演奏会に三原萌は首席フルート奏者として出演しており、アンコールの「管弦楽のためのラプソディ」の“信濃追分”では見事なソロを聴かせていたが、首席奏者にしては若く、モデルのような体型で「何者だろう?」と思っていたが、PAC出身者だったようだ。PACオケ在籍中から大阪交響楽団には客演首席フルート奏者として出演していたようで、経歴を見てもかなりの腕利きらしいことが分かる。

モニターにはオンライン配信用に作られた子ども向け音楽番組が流れており、佐渡裕と、PACということで「真夏の夜の夢」に登場する妖精パックの人形が、ベルリオーズの幻想交響曲をPACオーケストラの演奏風景入りで紹介していた。



午後5時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「GOOD 善き人」を観る。イギリスの劇作家、C・P・テイラーの戯曲を長塚圭史の演出で上演。テキスト日本語訳は浦辺千鶴が務めている。原作のタイトルは「GOOD」で、2008年にイギリス・ドイツ合作で映画化、日本では2012年に「善き人」のタイトルで公開されているようである。また、英国での舞台版がナショナル・シアター・ライブとして映画館で上映されている。
主演:佐藤隆太。出演:萩原聖人、野波麻帆、藤野涼子、北川拓実(男性)、那須佐代子、佐々木春香、金子岳憲、片岡正二郞、大堀こういち。ミュージシャン:秦コータロー、大石俊太郎、吉岡満則、渡辺庸介。出演はしないが、音楽進行に三谷幸喜の演劇でお馴染みの荻野清子が名を連ねている。

専任のミュージシャンを配していることからも分かる通り、音楽が重要な位置を占める作品で、出演者も歌唱を披露するなど、音楽劇と言ってもいい構成になっている。

イギリスの演劇であるが、舞台になっているのはナチス政権下のドイツの経済都市、フランクフルト・アム・マインである(紛らわしいことにドイツにはフランクフルトという名の都市が二つあり、知名度の高い所謂フランクフルトがフランクフルト・アム・マインである)。
佐藤隆太の一人語りから舞台は始まる。大学でドイツ文学を教えるジョン・ハルダー(愛称は「ジョニー」。演じるのは佐藤隆太)は、1933年から音楽の幻聴や音楽付きの幻覚を見るようになる。1933年はナチス政権が発足した年だが、そのことと幻聴や幻覚は関係ないという。妻のヘレン(野波麻帆)は30歳になるが、病気の後遺症からか、部屋の片付けや料理や子どもの世話などが一切出来なくなっており(そもそも発達障害の傾向があるようにも見える)、家事や3人の子どもの面倒は全てジョンが見ることになっていた。母親(那須佐代子)は存命中だが痴呆が始まっており、目も見えなくなって入院中。だが、病院を出て「家に帰りたい」と言ってジョンを困らせている。二幕では母親は家に帰っているのだが、帰ったら帰ったで、今度は「病院に戻りたい」とわがままを言う。
友人の少ないジョンだったが、たった一人、心を許せる友達がいた。ユダヤ人の精神科医、モーリス(萩原聖人)である。ジョンは幻聴についてモーリスに聞くが、原因ははっきりしない。幻聴はジャズバンドの演奏の時もあれば(舞台上で生演奏が行われる。「オーバー・ザ・レインボー」の演奏であったが、ジョンは原曲であるショパンの「幻想即興曲」と述べる)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏の時もある(流石にこれは再現は無理である)。音楽付きの幻覚として、ジョンはマレーネ・ディートリヒや、ヴァイオリンで「ライムライト」を弾くチャップリンの姿を見る。

ナチスが政権を取ったばかりであったが、ジョンもモーリスも「経済を握っているユダヤ人を排斥出来ない」「政権は短期で終わる」と楽観視していた。

ある日、ジョンの家にゼミでジョンに教わっている女子学生のアン(藤野涼子)が訪ねてくる。19歳と若いアンは授業について行けず、このままでは単位を落としそうだというのでジョンに教えを請いに来たのだった(まるで二人芝居「オレアナ」のような展開である)。しかしアンはジョンに好意を持っており、ジョンがそれを受け入れるかという話になる。
その夜、再びアンを家に呼んだジョンは、雨でずぶ濡れになったアンを愛おしく思い、結果的に二人は結婚し、新居を構えることになる。

小説家や評論家としても活躍しているジョンは、ある日、ナチスの高官からジョンの書いた小説が宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルス(元小説家志望)に絶賛されていることを知らされる。母親の病状を見て思いついた安楽死をテーマにした小説で、後のT4作戦に繋がる内容だった。ジョンの小説はゲッベルスからヒトラーに推薦され、ヒトラーも大絶賛しているという。ジョンは安楽死に関して、安心させるために風呂場に行くと嘘をつくという作戦も編み出しており、更にユダヤ人の個人主義がドイツの全体主義に反しており、経済を乱すという論文も発表していた。
大学の教員もナチ党員であることを求められた時代。ジョンもナチ党員となり、親衛隊に加わる。ジョンは、「水晶の夜」事件が起こることを知りながらそれを黙認し、ナチスの焚書に関しても協力した。

ユダヤ人であるモーリスはフランクフルト・アム・マインを愛するがために当地に留まっていたが、身の危険を感じ、出国を申請するも叶えられない。モーリスは、永世中立国であるスイス行きの汽車の切符を手配するようにジョンに頼む。往復切符にすれば出国と捉えられないとの考えも披露するがジョンはその要望に応えることが出来ない。

アンは、「自分がユダヤ人だったらヒトラーが政権を取ったその日に亡命している」と語り、「今残っている人は愚かか財産に目がくらんだ人」と決めつける。

やがてジョンは、アイヒマンの命令により新たな任地に赴くことになる。アウシュヴィッツという聞き慣れない土地だった。
アウシュヴィッツの強制収容所に着いたジョンは、シューベルトの「軍隊行進曲」の演奏を聴く。それは幻聴ではなく、強制収容所に入れられたユダヤ人が奏でている現実の音楽だった。


アンが親衛隊の隊服を着たジョンに「あなたは善い人」と言い聞かせる場面がある。実際にジョンに悪人の要素は見られない。T4作戦に繋がる発想もたまたま思いついて小説にしたものだ。ジョンは二元論を嫌い、モーリスにもあるがままの状態を受け入れることの重要性を説くが、後世から見るとジョンは、T4作戦の発案者で、障害のある妻を捨てて教え子と再婚、文学者でありながら焚書に協力、反ユダヤ的で親友のユダヤ人を見殺しにし、アウシュヴィッツ強制収容所で働いていた親衛隊員で、ガス室の発案者という極悪人と見做されてしまうだろう。実際のジョンは根っからの悪人どころか、アンの言う通り「善き人」にしか見えないのだが、時代の流れの中で善人であることの難しさが問われている。

ジョンに幻聴があるということで、音楽も多く奏でられるのだが、シューベルトの「セレナーデ」やエノケンこと榎本健一の歌唱で知られる「私の青空」が新訳で歌われたのが興味深かった。今日の出演者に「歌う」イメージのある人はいなかったが、歌唱力に関しては普通で、特に上手い人はいなかったように思う。ソロも取った佐藤隆太の歌声は思ったよりも低めであった。

親衛隊の同僚であるフランツが、SP盤のタイトルを改竄する場面がある。フランツはジャズが好きなのだが、ナチス・ドイツではジャズは敵性音楽であり、黒人が生んだ退廃音楽として演奏が禁じられていた。それを隠すためにフランツはタイトルを改竄し、軍隊音楽としたのだが、日本でもジャズは敵性音楽として演奏を禁じられ、笠置シヅ子や灰田勝彦は歌手廃業に追い込まれそうになっている。同盟国側で同じことが起こっていた。

佐藤隆太は途中休憩は入るもの約3時間出ずっぱりという熱演。宣伝用写真だとW主演のように見える萩原聖人は思ったよりも出番は少なかったが、出演者中唯一のユダヤ人役として重要な役割を果たした。
結果として略奪婚を行うことになるアン役の藤野涼子であるが、小悪魔的といった印象は全く受けず、ジョンならヘレンよりもアンを選ぶだろうという説得力のある魅力を振りまいていた。


今日が大千秋楽である。座長で主演の佐藤隆太は、公演中一人の怪我人も病人も出ず完走出来たことを喜び、見守ってくれた観客への感謝を述べた。
佐藤によって演出の長塚圭史が客席から舞台上に呼ばれ、長塚は「この劇場は日本の劇場の中でも特に好き」で、その劇場で大千秋楽を迎えられた喜びを語った。