2021年6月

5月
                          7月

6月2日(水)

古瀬まきをのデビューアルバム「詩(うた)が咲くとき」を聴く。ワコーレコード。クラウドファンディングによって資金を集めて制作されたCDである。ピアノ伴奏は法貴彩子(ほうき・さやこ)。
古瀬まきをは、浄土真宗本願寺派の大学である相愛大学音楽学部を卒業後、京都市立芸術大学大学院を修了。文化庁新進芸術家海外研修制度研修員としてドレスデンに1年留学し、帰国後も関西を中心に活動している。2019年には、プーランクのモノオペラ「声(人間の声)」を中心としたリサイタルが高く評価され、第40回音楽クリティック・クラブ賞奨励賞、令和元年大阪文化祭奨励賞などを受賞している。

全曲日本の歌曲で構成されたアルバム。山田耕筰の「かやの木山の」、「からたちの花」、別宮貞雄の「さくら横ちょう」、小林秀雄(評論家の小林秀雄ではなく、同姓同名、漢字も同じという作曲家)の演奏会用アリア「すてきな春に」、金子みすゞの童謡に中田喜直が曲を付けた、童謡歌曲集『ほしとたんぽぽ』より8曲、共に現役の女性作曲家である加羽沢美濃の「日々草」と木下牧子の「おんがく」を収録。

オーソドックスな歌唱で、清澄でありながら輪郭のクッキリした歌声を届けてくれる。

演奏会用アリア「すてきな春に」が最も彼女のスタイルに合っているようで、ドラマ性や揺れ動く心、湧き上がるような喜びを重層的な色彩を帯びた声で描き尽くす。

浄土真宗本願寺派の熱心な門信徒であった金子みすゞの童謡に旋律を付ける試みは、多くの作曲家が行っているが、金子みすゞの童謡はそれ自体で完結しているだけに、どのようなメロディーを付けても、どう歌ってもしっくりこなかったりする。金子みすゞの童謡を読んだ時の感慨とそれを歌ったものから受けるイメージに大きな隔たりがどうしても出てしまうのである。金子みすゞの童謡から受ける「寂しげな喜び」や「シンプルな奥深さ」、といった矛盾した要素や、はっとさせられる瞬間などが、音楽にはどうしても乗らない。

現在では教科書にも載っているため有名になった、「わたしとことりとすずと」も歌われているが、先日、上七軒文庫で、キリスト教においては皆、神の前で平等という話になり、イスラム教においてもそうで(イスラム教は元々はキリスト教を補完する宗教であった)、花園大学の師先生によると、ある宗教学の先生が、「わたしとことりとすずと」に出てくる「みんなちがってみんないい」ではなく、「みんなちがってみんなだめ」という話をしていたと教えてくれた。金子みすゞを否定する言葉だが、確かに神に比べると、どんなに優秀な人でも遠く及ばず、まるで駄目ということになる。ある意味、救いのある言葉である。

6月3日(金)

左京区岡崎にある京都市京セラ美術館で、国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」を観る。日独交流160周年記念企画である。緊急事態宣言による臨時休館を行っていた京都市京セラ美術館だが、一昨日、6月1日から展示を再開している。

京都市美術館が京都市京セラ美術館になってから入るのは初めて。内部が大幅に変わっている。以前は京セラの本社内にあった展示スペースが京セラ美術館という名前だったが、紛らわしいということで、そちらは京セラギャラリーと名前を変えている。


「古代エジプト展 天地創造の神話」の展示品の多くが石造りや金属製ということもあって、ほぼ全てが写真撮影可となっているが、「個人的に楽しむためのものとしてご使用下さい」となっているので、おそらくWeb上にアップするのはNGだと思われる。

雄のライオンの顔を持つセクメト女神が疫病退散の力を持っているようで、その像がエジプト版「アマビエ」として積極的に撮影するよう促されていたが、お守りとして待ち受け画面に使うことが推奨されているようである。

まず始めに冥界への導き手を務める神であるアビヌスの像が展示されており、続いてアニメーション上映のコーナーがあって、アビヌス(声の担当:荒牧慶彦)が語り手を務めるエジプト版天地創造の神話が語られる。アビヌスが登場するアニメーションは他の場所でも上映されているが、それらに関しては撮影も録画も禁止である。

日本の神話でも天照大神と素戔嗚尊が姉弟でうけいをする場面があるが、エジプトの神々も兄妹で愛し合い、子どもが生まれている。エジプトは歴史が古いので、プトレマイオス朝など紀元前の王朝でも近親婚が普通だったことが知られている。例えば、美女の代名詞の一人であるクレオパトラ7世の最初の夫は、彼女の実弟である。

エジプトの原初の神は、ナイル川をモデルにしたと思われるヌンである。「原初の水」という意味だそうで、ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」という言葉が浮かぶ。
そこから太陽神であるアトゥムが生まれたが、アトゥムは両性具有の創造神だそうで、自慰によって、大気の神であるシューと湿気の女神であるテフヌトが生まれたという。シューとテフヌトの兄妹が交わることで、大地の神のゲブと天空の女神であるヌトが生まれたのだが、やはり兄妹で結婚したゲブとヌトの仲が余りに良いことに父親のシューが嫉妬し、ヌトの体をつかんで引き離そうとした。ヌトはゲブから完全に体を離そうとはせず、体が弧状に伸び、これが天穹となった。


今回の展示は、クレオパトラなどの実在の人物よりも、エジプト神話の世界の展示が中心となっているが、伝ハトシェプスト女王や、伝ネフェルティティ王妃の像(有名な胸像ではなく頭部の像)なども展示されている。ハトシェプスト女王は即位中は男装していたとされるため、その像も男性化されたスフィンクスとしての装飾を施されているが、顔は柔和で女性的である。エジプトの美女というとやはりクレオパトラ7世が世界的に名高いが、彼女の場合は聡明さなども含めての評価で、純粋な容姿でナンバーワンといわれるのがネフェルティティである。今回展示されている頭部の像なども、今の基準でいっても世界的な美女と評価されるのは確実だと思われる。一方で、ネフェルティティは正体がよくわからない謎の女性としても知られている。古代エジプトの話は、TBS系の「世界ふしぎ発見!」がよく取り上げており、ハトシェプストもネフェルティティも何度も登場している。京都に来てから「世界ふしぎ発見!」も見なくなってしまったが。

ネフェルティティは、古代エジプトの宗教改革者であるアメンホテプ4世王(アクエンアテン、イクナートン)の王妃である。ただ分かっているのは、そのこととアメンホテプ4世王との間に数人の子を設けたということだけである。それ以外の記録はほとんどない。そのため、早いうちに亡くなったという説が生まれたが、正確なところははっきりしていない。アメンホテプ4世王は、突如としてそれまでの多神教的だったエジプトの宗教性を覆し、アテン神(南中した太陽を表す神)1神のみを崇拝する一神教へと舵を切った人物であり、テーベからアケトアテンに遷都するなど、徹底した改革を行ったが、その死後には揺り戻しとしてアメンホテプ4世自身が否定される存在となり、その子とされるツタンカーメン(トゥトアンクアメン)らによって実際に多くの記録などが処分された。そのためその妃であったネフェルティティに関する情報もほぼ全て失われてしまっている。

あの世に再生するための指南書である「死者の書」については、アニメーションなども使って分かりやすく説明されている。死後、魂は試練を経てあの世に向かうのだが、あの世はその時代のエジプトと完全に同じ姿をしていると考えられたようである。死後の世界に行けなかった場合は、怪物アメミットに心臓を食べられて、その人物は消滅する。輪廻転生から逃れるための修行を重視する仏教においては無になる方がむしろハッピーエンドに近いため、死に対する観念が大きく異なっているのが分かる。


ちなみに、エジプトには世界の終焉伝説があり、蛇に身を変えたアトゥム神とオシリス神が世界の終わりを見届けるという。ただ、世界は再生するそうだ。アトゥムは創造神であり、日没時の太陽を表す神であるが、同時に破壊も司るという、シバ神に似た性格を持っているようである。
アテフ冠を被ったオシリス神の小像の冠の部分には、アトゥム神だと思われる蛇の飾りが施されている。

6月4日(金)

セパ交流戦。東京ヤクルトスワローズは本拠地の神宮球場で、埼玉西武ライオンズと対戦する。スワローズの先発は大ベテランの石川雅規。昨年は2勝に終わったが、通産173勝とし、桑田真澄に並んでいる。今日勝てば桑田を上回る174勝目、更に20年連続勝利の記録も達成する。

対するライオンズの先発ピッチャーは、髙橋光成。甲子園優勝投手だが、しばらく見ない間に、大分チャラチャラした感じになった。
今日の髙橋は不調なようで、初回にランナーを三塁に置いての暴投によって先制点を許すと、2回には山田哲人のスリーランなどで一挙5点を許す。

石川は、3回表にスパンジェンバーグにソロアーチを許して1点を許すが、その裏に青木と村上のホームランなどで4点を追加。10-1となる。

今日は天気が安定せず、5回裏、スワローズの攻撃中に降雨中断、後攻のホームチームがリードしているということでそのままコールドゲーム成立となり、石川が今季初勝利を挙げる。これによって20年連続の勝利投手を記録し、通産174勝となって、歴代単独38位に浮上した。

6月5日(土)

本来なら今日は、ザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の大阪公演を聴く予定だったのだが、緊急事態宣言下ということで公演が中止になった。



録画してまだ観ていなかったドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観る。原題は「Bloody Daughter」。フランス=スイス合作作品。実は今日、6月5日はアルゲリッチの誕生日であり、彼女は満80歳、日本でいう傘寿を迎えた。
撮影・監督はステファニー・アルゲリッチ。彼女の三女である。邦題の「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」からはアルゲリッチのサクセスストーリーが描かれているような印象を受けるが、実際はアルゲリッチの影の部分に迫った作品と見た方が適当であるように思われる。

アルゲリッチには女ばかり三人の子どもがいるが、父親は全員違う。長女、リダの父親は中国系指揮者のロバート・チェン、次女のアニーの父親は日本でもお馴染みである指揮者のシャルル・デュトワ、そしてステファニーの父親はピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチである。現役最高の天才ピアニストの一人であり、女性ピアニストとしては史上最高といっていいほどの才能の持ち主であるマルタ・アルゲリッチだが、娘のステファニーが捉えたアルゲリッチの姿は、どう見ても幸せそうには感じられない。音楽を愛しているが、演奏する喜びよりも不安や虚しさの方が強く感じられ、精神的には不安定で、人生を謳歌しているとは言い難いように思われる。

映画は、ステファニーの出産にアルゲリッチが立ち会うところから始まり、ステファニーの息子、つまり孫にピアノや歌を教えるシーンで終わる。アルゲリッチの60歳から70歳までの姿が収められている。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生まれたアルゲリッチだが、12歳の時に一家でウィーンに移住。フリードリヒ・グルダに師事する。以降、ブエノスアイレスに戻ることはほとんどなかったようだが、この映画にはブエノスアイレスを訪れたアルゲリッチが、子どもの頃に父親とよく動物園を訪れて写真を撮ったという思い出を語る場面がある。

デュトワと結婚していた時代に、二人でインタビューに応じた映像が流され、二人の娘であり、現在はジャーナリストとして活躍するアニー・デュトワも映像と写真で出演。ヴィオラ奏者となった長姉のリダも登場する。

ステファニーの父親であるスティーヴン・コヴァセヴィチは、チェンやデュトワとは違い、今現在の姿が収められている。ステファニーによると、コヴァセヴィチは「母と違って、毎日ピアノを弾く」。アルゲリッチは天才ピアニストではあるが、ムラのあるタイプであり、またかなり変わった人物でもある。このドキュメンタリー映画の中で口にしている言葉も、意味不明というほどではないが、通常の人とは明らかに変わったものの捉え方と表現の仕方をしていることが分かる。天才ピアニストであるだけに、個性的且つ即興的、偉大な作曲家の作品を奏でているが、あたかもその場で頭に浮かんだばかりのような新鮮な音楽を生み出すことが出来るアルゲリッチ。だが、その姿に誰よりも自身が違和感を覚えているようですらある。若い頃はピアノが嫌いだったそうで、自分が描いていたものとは別の人生を歩んでいることの不可思議さと自身の才能に振り回されているように見える。日々演奏旅行を行う日常に不満を感じているようであり、もっとじっくりと自分と向かい合いたいのだがその時間が取れないもどかしさがあるようだ。
アルゲリッチは一頃はキャンセル魔として知られ、また長い間、ピアノ独奏の演奏会を一切行わない時期があった。理由は、「ステージ上に一人でいると寂しい」という、およそプロのピアニストとは思えないものであったようだが、そうした不安を抱える様子もこの作品の映像には収められている。

スティーヴン・コヴァセヴィチは、味のあるピアノを弾く人だが、天才ピアニストではない。だが、皮肉なことに表現上の迷いがない分、ピアニストとしてはコヴァセヴィチの方がずっと幸せそうに見える。アルゲリッチとコヴァセヴィチはステファニーが2歳の時に離婚しており、ステファニーがどちらの姓を名乗るかは、両親がコイントスで決めたそうで、結果、アルゲリッチ姓を名乗ることになった。そんないい加減な調子なので、コヴァセヴィチもステファニーを認知していない。ということで、出生当時のステファニーの苗字は「デュトワ」とされていたそうだ。コヴァセヴィチとステファニーの関係は良好なようだが、ステファニーがコヴァセヴィチに「父親と認める手続きをして欲しい」と申し出たシーンで、コヴァセヴィチは手続きの仕方がよく分かっておらず、必要な資料の在処も忘れていることが判明する。音楽家はその才能の代わりに何かが欠落しているようである。

ちなみに最初の正式な結婚相手であるシャルル・デュトワも実力派の指揮者で、フランス音楽演奏の第一人者であるが、やはり天才というよりも職人タイプであり、天才であるアルゲリッチは、自身とは異なった特性を持った音楽家を選んでいることになる。映画の中で語られるアルゲリッチの言葉を聞くと、意図的に選んでいるのではないかと予想される。
アルゲリッチが音楽を「愛のようなもの」と例える場面があるが、愛においては、アルゲリッチは勝者とは呼べないようである。

リダ、アニー、ステファニーは共に父親似であり、顔も、おそらく性格もアルゲリッチには似ていない。アニーとステファニーは姉妹のように育てられたようで、二人で写っている写真や映像が存在する。ある時期まではリダの存在は二人には秘せられていたようだ。
なお、幼いステファニーの世話は教育面でも生活面でもアニーが担っており、アルゲリッチは母親としては完全に無能であることが分かる。幼いアニーとデュトワと三人で写ったインタビュー映像でもアニーの面倒はデュトワが見ており、アルゲリッチは横にいるだけだ。その後は、ステファニーの面倒は、アルゲリッチの愛人となったピアニストのミシェル・ベロフが見るようになったが、やはりアルゲリッチは何もしていないようである。

ちなみに、アルゲリッチの家にビデオカメラを持ち込んだのはアルゲリッチ本人だそうで、日本で演奏会を行った時に購入し、土産として娘に与えたようだ。アルゲリッチは別府アルゲリッチ音楽祭の主催者であるため、来日してリダ(と撮影のステファニー)と共に新幹線に乗り、箸を使って駅弁を頬張るシーンがある。別府市のホールとその周辺、リダのヴィオラとのリハーサルシーンも収められている。

彼女の即興的な演奏スタイルは、ワルシャワで行われるコンサートのリハーサル、ショパンのピアノ協奏曲第1番を弾く際に最も分かりやすい形で伝わってくる。通常とは違うスタイルでの演奏をすることを思いついたアルゲリッチだが、それは閃きというよりも、向こうから来たもののようで、アルゲリッチ本人もその理由を説明することが出来ない。

その言葉では表現出来ない何かの存在を本編の最後でアルゲリッチはステファニーに伝えている。おそらくその何かは音楽であるのだと思われるのだが、音楽はアルゲリッチ本人にも統御出来るものではないようだ。こうしたピアニストの常として、アルゲリッチもホロヴィッツに憧れ、ニューヨークに渡り、ホロヴィッツの家のそばに部屋を借りて滞在していたことがあるのだが、面会は叶わなかったそうである。

アルゲリッチがコンサート終了後に延々とサイン会を行うのを、幼い頃のステファニーは不満に思っていたことが語られる。だが、この映画に収められたサイン会のシーンでアルゲリッチは実に生き生きとしている。普段のアルゲリッチは疲れたような厭世的な表情をしているが、サイン会の時は顔色が違う。ステファニーが言う「女神」のように。
アルゲリッチは幼い頃から国際的なピアノコンクールで優勝し、「美貌の天才ピアニスト」として引く手あまたで、数々の音楽家と共演した。彼らの中に正真正銘の天才は少なかったかも知れないが、いずれも特別な種類の人々であったのは確かだ。あるいはサイン会の時間は、彼女に許された数少ない普通の人々と触れ合う機会だったのかも知れない。

アルゲリッチと三人の娘がピクニックに出掛け、ペディキュアを塗り合うシーンがある。いずれも父親は違うが、三人の娘と過ごすアルゲリッチは、ある意味、平凡な女性にすら見える。だが、アルゲリッチの真の意味での娘は実は音楽以外にはいないのではないだろうか。そしてその真の娘は、腹を痛めて生んだ三人の父親似の娘よりもいまいましい娘(Bloody Daughter)であり、アルゲリッチ本人を揺すぶり続ける。
冒頭付近に、ステファニーがアルゲリッチについて「彼女の方が自分の子どもなのではないかと思われる」と語るナレーションがある。そこからは音楽の母である天才マルタ・アルゲリッチと、音楽の娘でもある幼いマルタ・アルゲリッチという二つの姿が浮かぶ。音楽は選ばれた者を人と同等には育まないようだ。
音楽の神に愛されたが故に音楽に利用され、やりたいことも出来ず、娘ともずっと向き合えなかった孤独な天才の肖像である。結婚していた時代にデュトワがインタビューで答えていたが、「演奏家は音楽を義務としてやるため、本当にしたいことは出来ない」という意味の言葉は本当のことのようである。

6月6日(日)

フジテレビONEで、東京ヤクルトスワローズ対埼玉西武ライオンズのセパ交流戦を観戦。スワローズの先発は誕生日を迎えたばかりの高梨裕稔。ライオンズの先発は若い上間。

高梨は今日も今ひとつのピッチングで、初回は満塁のピンチをなんとか0点でしのぎきったものの、2回に1点、3回に呉のツーランで2点を失い、更にフォアボールを与えたところでマウンドを降りる。2番手は、先日プロ初勝利を挙げたばかりの大西。ピンチを切り抜ける。

スワローズは初回にサンタナが押し出し四球を選び、更にオスナのタイムリーで1点を加える。

3回裏には、元山が2点タイムリー三安打を打って逆転に成功。廣岡大志の巨人軍移籍で、今年はショートは西浦に決定かと思われたが、ドラフト4位ルーキーながら宮本慎也の背番号6を受け継いだ元山の活躍がこのところ目立っており、レギュラー争いで一歩リードしている。

4回には代打で出場した宮本丈がフェンス直撃のツーベースヒットを放つ。宮本はこれが今季初安打となった。その後、青木がレフトへ流し打っての二塁打を放ち、1点を奪ってリードを拡げる。

しかし5回表に、今年大車輪の活躍を見せる左の坂本光士郎が愛斗にバックスクリーンの左へ運ばれるツーランホームランを許し同点へ。
そして6回には梅野が岸にソロホームランを打たれて逆転を許す。

8回裏、1点ビハインドのスワローズは、山崎がフォアボールを選ぶと、このところ好調の塩見がヒットで繋ぎ、青木が走者一掃のタイムリーツーベースを放って再逆転に成功。村上が勝負を避け気味のフォアボールでデ出ると、代打・川端慎吾が2点タイムリーを放って9-6とする。

9回表のマウンドを託されたのは、昨日、3本のホームランを打たれて沈んだマクガフ。だが今日は150キロを超えるストレートで押して、山賊打線といわれるライオンズを3人で抑えて勝利。スワローズは対ライオンズ戦2勝1敗となり、交流戦2度目の勝ち越しとなった。

6月7日(月)

FIFAワールドカップ二次予選。日本はタジキスタンとパナソニックスタジアム吹田で戦う。緊急事態宣言下の大阪府内での一戦ということで無観客での試合である。

二次予選でトップを走る日本。今日も試合開始早々に古橋亨梧がこぼれ球を蹴り込んでのゴールを決めて先制するが、その直後にタジキスタンのパンシャンベにヘディングでのゴールを許す。日本はこれが今予選初の失点である。

前半40分、ここまで日本代表として6試合連続ゴールを決めている南野拓実が古橋の右サイドからのクロスにスライディングしながら合わせ、ボールをゴールにねじ込む。日本勝ち越し。南野は代表7試合連続ゴールとなり、本田圭佑が持つ日本記録に並んだ。

後半には橋本拳人がゴールを決め、更に相手ゴールキーパーのクリアミスを川辺俊が拾ってゴールにたたき込み、4-1とリードを拡げる。

試合はそのまま日本が勝利した。

6月8日(火)

下野竜也指揮広島交響楽団の演奏で、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を聴く。広島交響楽協会、ブレーン・ミュージック、タワーレコードの共同制作で、タワーレコードでのみ販売されている。
2020年11月15日に、大阪・福島のザ・シンフォニーホールでのライブ録音で、当日は私も客席にいて感銘を受けている。

朝比奈隆が活躍したということもあり、多くの日本人指揮者がブルックナーを取り上げているが、下野竜也は若手~中堅クラスの指揮者の仲では最も積極的にブルックナーの交響曲を指揮しており、後期三大交響曲や「ロマンティック」のような人気曲のみならず、初期の交響曲や、ブルックナー本人によって破棄された交響曲第0番などもプログラムに載せている。

現在、広島交響楽団から音楽総監督の肩書きを与えられている下野竜也。期待の大きさが窺われる。
交響曲第4番「ロマンティック」は、ブルックナーの交響曲の中では異色作で、物語性や叙事詩的要素がある。パーヴォ・ヤルヴィのようにそうした要素を強調した演奏をする指揮者もいるが、余り成功していない。朝比奈隆も「ロマンティック」では誰もが推す名盤は残しておらず、人気の割に演奏が難しい曲だと思われる。

下野の音楽作りは正攻法で、極端な強調は避け、音それ自体が持つ豊かさを緻密に積み上げていく。同じくザ・シンフォニーホールで広島交響楽団を指揮したブルックナーの交響曲第8番などは必ずしも成功とはいえないように思われるが、「ロマンティック」は歴代の日本人指揮者の中でもトップクラスの名演となっている。

ライブレコーディングの機会が多いザ・シンフォニーホールでの収録ということもプラスに作用し、録音も上質の仕上がりである。

広島には今なお音楽専用ホールがない。旧広島市民球場の東側に建設の予定があると聞いたが、正式決定ではないようだ。同じ中国地方の政令指定都市としてライバル関係にある岡山市にはすでに岡山シンフォニーホールがあり、2年後にはポピュラーやオペラなどに対応した新しい市民会館が竣工する予定(本当は2022年内に完成する予定だったが、コロナによって工事が遅れた)で、音楽の環境が整いつつある。広島市にも期待したい。


6月11日(金)

京都文化博物館で、京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完成記念「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」と「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」を観る。

「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」は、修復された寺町・誓願寺の門前町を描いた屏風絵の展示が中心となる。
落語発祥の地としても名高い浄土宗西山深草派総本山誓願寺。明治時代初期に槇村正直が新京極通を通したために寺地が半分以下になってしまったが、往時は京都を代表する大寺院であった。
この「誓願寺門前図屏風」作成の中心となった人物である岩佐又兵衛は、実は織田信長に反旗を翻したことで知られる荒木村重の子である(母親は美女として知られた、だしといわれるがはっきりとはしていないようである)。荒木村重が突然、信長を裏切り、伊丹有岡城に籠城したのが、岩佐又兵衛2歳頃のこととされる。使者として訪れた黒田官兵衛を幽閉するなど、徹底抗戦の姿勢を見せた荒木村重であるが、その後、妻子を残したまま有岡城を抜け出し、尼崎城(江戸時代以降の尼崎城とは別の場所にあった)に移るという、太田牛一の『信長公記』に「前代未聞のこと」と書かれた所業に出たため、有岡城は開城、村重の妻子は皆殺しとなったが、又兵衛は乳母によってなんとか有岡城を抜け出し、石山本願寺で育った。その後、暗君として知られる織田信雄に仕えるが、暗君故に信雄が改易となった後は京都で浪人として暮らし、絵師としての活動に入ったといわれる。

誓願寺門前図屏風は、1615年頃の完成といわれる。大坂夏の陣のあった年である。翌1616年頃に又兵衛は越前福井藩主・松平忠直に招かれて、福井に移っているため、京都時代最後の大作となる。又兵衛一人で描いたものではなく、弟子達との共作とされる。又兵衛は福井で20年を過ごした後、今度は二代将軍・徳川秀忠の招きによって江戸に移り、その地で生涯を終えた。又兵衛は福井から江戸に移る途中、京都に立ち寄ったといわれている。

岩佐又兵衛について研究している京都大学文学研究科准教授の筒井忠仁出演の13分ちょっとの映像が、「誓願寺門前図屏風」の横で流されており、「誓願寺門前図屏風」に描かれた京の風俗や修復の過程で判明したことなどが語られる。

経年劣化により、かなり見にくくなっていた「誓願寺門前図屏風」。修復の過程で、二カ所に引き手の跡が見つかり、一時期は屏風ではなく襖絵として用いられたことが確認されたという。
『醒睡笑』の著者で落語の祖とされる安楽庵策伝が出たことで、芸能の寺という側面を持つ誓願寺には今も境内に扇塚があるが、「誓願寺門前図屏風」にも誓願寺のそばに扇を顔の横にかざした女性が描かれている。
また、三条通と寺町通の交差する北東角、現在は交番のある付近には、扇子を売る女性が描かれているが、彼女達は夜は遊女として働いていたそうである。また、今は狂言で女性役を表すときに使う美男鬘を思わせるかづきを被った女性などが描かれている。
誓願寺は和泉式部が帰依した寺ということで、和泉式部の塚も以前は誓願寺にあったようだ(現在は少し南に位置する誠心院に所在)。誓願寺は女人往生の寺であるため、女性の姿も目立つ。
一方、三条寺町では馬が暴れて人が投げ出されていたり、喧嘩というよりも決闘が行われていたり、物乞いがいたりと、当時の京都の様々な世相が描かれている。


その他には、茶屋氏、角倉氏と並ぶ京の豪商だった後藤氏関係の資料が展示されている。後藤氏の邸宅は現在、新風館が建つ場所にあった。かなり広大な面積を持つ屋敷だったようで、往時の後藤氏の勢力が窺える。
作庭家や茶人としても有名な小堀遠州(小堀遠江守政一)や、豊臣家家老でありながら大坂を追われることになった片桐且元、加賀金沢藩2代目の前田利光(後の前田利常)、熊本城主・加藤清正らが後藤家の当主に宛てた手紙が残されており、後藤家の人脈の広さも分かる。虎狩りで知られる加藤清正だが、清正から後藤氏に出された手紙には、虎の毛皮を送られたことへの感謝が綴られており、清正が虎狩りをしたのではなく虎皮を貰った側ということになるようだ。


元々、下京の中心は四条室町であったが、江戸時代には町衆の中心地は、それよりやや東の四条烏丸から四条河原町に至る辺りへと移っていく。
出雲阿国の一座が歌舞伎踊りを披露した四条河原は、京都を代表する歓楽地となり、紀広成と横山華渓がそれぞれに描いた「四条河原納涼図」が展示されている。紀広成は水墨画の影響を受けたおぼろな作風であり、一方の横山華渓は横山華山の弟子で華山の養子に入ったという経歴からも分かる通り描写的で、描かれた人々の声や賑わいの音が聞こえてきそうな生命力溢れる画風を示している。

後半には四条河原町付近の住所である真町(しんちょう)の文書も展示されている。面白いのは、四条小橋西詰の桝屋喜右衛門の名が登場することである。万延元年(1860)の文書で、灰屋という家の息子である源郎が、桝屋喜右衛門の家に移るという内容の文書と、転居したため宗門人別改にも変更があり、河原町塩谷町にあった了徳寺という寺院の宗門人別改帳への転籍が済んだことが記載されている。

実はこの翌年、または2年後に、桝屋の主であった湯浅喜右衛門に子がなかったため、近江国出身で山科毘沙門堂に仕えていた古高俊太郎が湯浅家に養子として入り、桝屋喜右衛門の名を継いでいる。古高俊太郎は毘沙門堂に仕えていた頃に梅田雲浜に師事しており、古高俊太郎が継いで以降の桝屋は尊皇討幕派の隠れアジトとなって、後の池田屋事件の発端へと繋がっていくことになる。ということで、灰屋源郎なる人物も古高俊太郎と会っていた可能性があるのだが、詳細はこれだけでは分からない。



3階では、「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」展が開催されている。
シュルレアリスムを日本に紹介した福沢一郎が独立美術協会を立ち上げたのが1930年。その後、四条河原町の雑居ビルの2階に独立美術京都研究所のアトリエが設置され、京都でも新しい美術の可能性が追求されるようになる。だが戦時色が濃くなるにつれてシュルレアリスムなどの前衛芸術などは弾圧されていく。そんな中で現在の京都府京丹後市出身である小牧源太郎は、仏画を題材とした絵画を制作することで土俗性や精神性を追求していったようである。

6月12日(土)

午後1時から上七軒文庫で行われる井上歳二の絵本&紙芝居朗読ライブに接する。
緊急事態宣言下であるため、予約制で、入場出来るのは、井上さんと花園大学の師先生、龍谷大学の亀山先生を除いて5名までである。

今日はまずアフリカの民話に基づく紙芝居「かえるとへび」が読まれる。かえるの子とへびの子が出会い、友達になるが、それぞれの親が「かえるとへびは敵」と断言し、仲が裂かれるという話である。

互いに違うという点から性差別の話題などになり、日本では能力があっても女というだけで評価されない傾向が今なお強いという話になる。昔に比べればまだましになったが、日本は女性の社会進出が先進国の中では最下位クラスである。この国では女性で高学歴であるということは必ずしも美点ではなく(女子が東大や京大に行くと結婚出来なくなるという話があり、実際、私が知っている京大出身の女性の何人かは出身校を明かしていない)、就職においてはおそらく有利になるが、結婚、出産などには配慮がなされていない場合も多く、出産などで一度職場を離れて再就職となると学歴や能力は無関係にある場合が多いということもあって、才能を生かせない女性が多い。
師先生の知り合いにも能力を生かせない女性がいたそうだが、彼女がベルリンに移って働いてみると、そうした女性差別はほとんど感じられなくなったそうである。「女性は女性らしく」という考え方もないため、すっぴんで歩いていても誰からも文句を言われないらしい。

日本の場合、男女雇用機会均等法が施行される以前は、同じ仕事をしても女性の方が時給や給料が低いのが当たり前、結婚したら退職することを会社に約束させられるなど、今から振り返るととんでもない状況がまかり通っていたが、これもまだ40年ほど前のことであり、遠い昔の話ではない。今は流石にここまで露骨ではないが、女性就業者の多くが正社員ではなく派遣社員に置き換えられており、ぱっと見そうではないというだけで、まだまだ根強い差別がある。結婚したら退職を強要されるということはないが、その前に派遣切りに遭う可能性も高い。正社員と派遣社員では同じ仕事をしても賃金が異なる。以前に比べると差は縮まったが、同一労働同一賃金には今もなってはいない。
ベルリンなど、ヨーロッパの大都市は、人口流入が多く、人種のるつぼと化しており、性別以前に人種も違うなど、違うことが前提となっている。日本の場合はまだまだ国際化されておらず、大体の人は同じ髪の色、同じ目の色で皮膚も黄色、少なくとも身内では日本語のみで喋るということで、一番の違いが性別ということになり、ジェンダーの問題が当然ながら大きくなっている。

実は中国は、文化大革命の時代に性別や階級の差を無理矢理なくそうとして破滅を招いたということがある。中国は女性差別が激しい国だが、言語面では世界の主要言語の中で最も性差が少なく、男とも女も同じ言葉を喋る(ちなみに男性語と女性語の間が最も乖離している言語は日本語である)。ということもあって現実の性差をなくすのもたやすいと思ったのか、毛沢東の「天の半分を支えるのは女性である」というイデオロギーの下、強引に差をなくそうとした(男女共に人民服。スカートをはくのは娼婦だけ。国家工場や下放先で同じ職に就くなど)のだが、文化大革命自体が仮想敵をでっち上げて内部崩壊を促すという構造であったため、悲惨な結果をもたらすことになった。「急いては事をしそんじる」という言葉があるが、その通りになった訳である。


続いて、『ゴリラのパンやさん』(作:白井三香子、絵:渡辺あきお)という絵本が読まれる。ゴリラがパン屋さんを始めたのだが、パンを買いに来た動物たちが、店主がゴリアであることに気づくと怖れて逃げ帰ってしまう。そこでゴリラは指人形を作り、正体を隠してパンを売ることにする。ウサギ相手に上手くいきそうだったのだが、割って入ったキツネのためにゴリラの計画が崩れそうになり……という話である。先入観の怖ろしさが語られる。なんだかんだで見た目は大きくものをいう。『人は見た目が9割』という本がベストセラーになったが、第一印象はなかなか覆ることがない。「かえるとへび」にも繋がることであるが、先入観によって引き裂かれる人々は、今も昔も枚挙にいとまがない。
残念ながら「イメージは本質に先立つ」のである。

6月13日(日)

午後4時から、上七軒文庫のオンライン講義、寄付講義「知恵の庭」第2シーズン第3回「近現代美術の中の仏教主題」を受講する。都合により、受講開始が20分ほど遅れたが、約2時間分は受講することが出来た。講師は、若手宗教学者・美術家として注目を集めているという君島彩子(きみしま・あやこ)。君島は、東京からの配信で、スライドを使って明治時代以降の仏教美術についての説明を行う。

君島は女子美術大学附属高校を経て、和光大学表現学部芸術学科を卒業。ここまでは美術家としてのキャリアを築いてきたが、その後に天台宗、真言宗豊山派、浄土宗そして最近では時宗も運営に加わった総合仏教大学である大正大学の大学院文学研究科に進み、研究の道に進む。その後は千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館内に設置された総合研究大学院大学日本歴史研究専攻、国際日本文化研究センターに設置された総合研究大学院大学国際日本研究専攻の博士後期課程で学び、博士号を取得。駒澤大学文教経済研究所研究員、国際日本文化研究センター博士研究員などを務めている。


最初の20分ほどは見逃してしまったが、Zoomに入室した時は、隠れキリシタン由来のマリア観音について語られていた。「マリア観音」という言葉自体は、大正14年(1925)頃に出来た言葉だそうだが、マリアに見立てられた観音は当然ながらそれ以前にも存在する。特に白衣観音はその姿から、マリアに見立てられやすいようだ。靖国神社の大村益次郎像の作者として知られる大熊氏廣なども、大山巌公爵邸内にマリア風の白衣観音を建てており、渡辺長男(わたなべ・おさお)なども同様だという。

また、人形師出身の松本喜三郎は、活人形谷汲観音像など人間の等身大の生々しい観音像を作り、衝撃を与えたという。

一方、山田鬼斎は、薬師寺東院堂の聖観音像を模造。鈴木長吉も川崎大師に観音銅像の模造品を作っており、鈴木の作品はシカゴで行われた万国博覧会で好評を得たという。

竹内久一も、日光菩薩や広目天立像などの模造品を手掛けているが、これは仏教文化の隆盛期である天平時代への回帰を目指したものであり、日本仏教美術におけるルネッサンス(文芸復興)ともいえる風潮を反映したものだそうだ。

江戸時代には中国から入ってきた新たな禅宗である黄檗宗(本山は宇治の萬福寺)が流行り、中国風の仏像が流行った。伊藤若冲なども黄檗宗に帰依していたため、影響を受けたようだが、明治に入ってから中国由来の仏教芸術は排除されるようになり、代わって西洋の技術を取り入れた仏教芸術が台頭し始める。

竹内久一の無著像模造と維摩居士坐像は当時の最新のリアリズムを用いて造られており、飛鳥・天平時代に起こったリアリズムを新たな形で再生しようという試みだったようだ。竹内久一は、シカゴ万博には、「伎芸天」という像を出展したそうだが、日本の彫像は美術ではなく工芸品扱いを受けて、評判は悪かったそうである。

竹内は、日清戦争時には博多に日蓮聖人像銅像、日露戦争時には戦勝観世音菩薩像(現・平和観音)を制作しており、時流に乗った活動をしたといえるだろう。


高村光太郎の父親としても有名な高村光雲。元々、仏師に弟子入りし、仏師として活動を始めた人だが、廃仏毀釈の影響で仏師としての仕事がなくなり、彫刻家としての活動が増えていく。1884年に魚藍観音を制作。1898年には知恩院に聖観音菩薩を築く。

1902年には大阪で行われた第5回内国勧業博覧会に楊柳観音噴水を出品。その名の通り、楊柳観音と噴水が一体となった彫刻であり、日本で初めてライトアップされた仏像だそうだが、水が出るということで脆く、完成から3年ほどで取り壊しとなったそうである。


その後、観音菩薩像は西洋美術の影響を受け、女性的で肉感的なものへと変化していく。石川光明の観世音菩薩像、山崎朝雲、平櫛田中、新海竹太郎らが有名だが、特に新海竹太郎の歓喜天、弁天、サラスヴァティなどは女性のヌードモデルを使った官能的な仕上がりとなっている。

新海竹太郎は、横浜に移った曹洞宗大本山總持寺の放光(ひかり)観音像を制作したが、第二次大戦時の金属物供出によって現存しておらず、伊東忠太設計の台座のみが国登録有形文化財の指定を受けているそうだ。現在、台座の上には2代目となる放光菩薩像(山崎正邦の作)が建っているが、こちらは新しいということもあって何の指定も受けていないようである。

その他に、佐藤朝山、後藤良(なおし)、橋本平八、佐々木大樹、岡倉秋水(岡倉天心の孫)らの名前が挙がるが、彼らは狩野芳崖からかなりの影響を受けているようである。

日本画家として最も著名な人物の一人である横山大観は、実際にインドに行き、インドの女性の顔をモチーフとした「流燈」などを描いている。この辺りから日本人や西洋人をモデルにしたものではなく、仏教発祥の地であるインドを実際に訪れて、インド人をモデルにするという動きが出始める。

下村観山の「魚藍観音」などはダヴィンチの「モナリザ」の顔を模しており、仏教美術が、「仏教」よりも「美術」寄りになってきていることが確認出来る。


京都画壇に目を移すと、竹内栖鳳、村上華岳、入江波光、堂本印象らが仏画を制作している。


紹介された作品のほとんどが観音を題材にしたものであるが、これは単純に観音を題材とした作品が多いからだそうである。これまで紹介した画家・彫刻家の中に女性が一人も含まれていないというのも特徴である。

現代美術においては、仏画を取り上げる女性アーティストも存在しており、木村了子のイケメン仏画や、まだ二十代前半だと思われる三好桃加の「オフの日」(金剛力士が子守をしている様を表現した彫刻)などが紹介された。

6月14日(月)

午後7時30分から、上七軒文庫のシラスを使ったオンライン講義、「思想」から考える日本仏教の歴史 第7回「奈良時代の仏教僧の学問と実践①」を受講。講師は龍谷大学非常勤講師の亀山隆彦。

有料講義なので、細部までは書かないが、天平期の仏教について鑑真の来日に至るまでが語られる。

アウトラインのみを記す。

西暦538年、もしくは552年に日本に伝来した仏法だが、仏・法・僧の三宝のうち、正式な僧侶を認定する戒壇が造られないまま、200年ほどが経過してしまう。

正式な僧侶となる受戒や授戒には、三人の正式な僧侶と七人のきちんとした証人、いわゆる三師七証が必要なのだが、そもそも僧侶になる資格が曖昧なままなので、三師七証による授受戒はやりようがない。

奈良時代に至るまでの僧侶は、私度僧が中心で、独学で仏教を学び、広めるというのが一般的だった。自誓受戒というものはあり、私的に戒を守ると宣言して僧侶を名乗る方法がこれに当たる。そのため、鑑真が来日し、東大寺に戒壇院を設けた後も、自誓受戒をしたのだから戒壇院で受戒する必要はないという主張も起こっていた。
また最澄は、東大寺戒壇院、筑紫観世音寺戒壇院、下野薬師寺戒壇院という官営の3つの戒壇院の他に比叡山延暦寺にも戒壇院を置きたいという理想を持っており、これは後に実現する。

ちなみに自誓受戒で用いられるのは、「占察善悪業報経」という経典だが、偽経の疑いが濃厚だそうである。

日本に戒壇が必要と考えたのは、道慈という僧侶で、この人は唐で何年も仏教を学んだ当時のスーパーエリートである。道慈は唐と日本における仏教のあり方が余りに違うため、唐から高僧を呼んで授戒をして貰う必要を強く感じていた。そして、栄叡(ようえい)と普照という二人の僧侶が、見つけ出したのが道璿(どうせん)と鑑真である。道璿は戒壇院は築かず、華厳経の布教に専念したが、鑑真は日本渡航に何度も失敗するが、渡海を決意してから約10年後の753年に屋久島にたどり着いて初来日、翌754年に平城京にたどり着き、聖武上皇や孝謙天皇、光明皇太后などへの授戒を行った。

だが先に述べた通り、鑑真への反対勢力も存在し、また聖武上皇や孝謙天皇などが目指す仏教ビジョンと鑑真の理想が異なったことから、鑑真は758年に大僧都の位を辞し、その後は唐招提寺を築いて東大寺戒壇院から移住。独自の思想を深めていったようである。

6月15日(火)

「猫町通り通信」の6月の壁紙は、これまで雨粒を模した濃い水色のものを使っていたが、加齢による目の衰えからか、文字が追いにくくなっていることに気づく。そこで壁紙を変更してみる。今度は水と雲を意識した明るめの壁紙であるが、これはこれで眩しく感じられるような気もする。



Eテレ「知恵泉」、吉田兼好の回や、「青天を衝け」のまだ見ていない回を見るなど、録画したままになっていた番組を消化する。オンライン講座などの復習も行う。

「青天を衝け」は京都を舞台にした回である。大河ドラマの中とはいえ、京都が出てくると胸が躍る。

だが、録画したまま目を通していない映像は余りに多く、見終えるまでにかなりの時間が掛かりそうである。

6月16日(水)

録画してまだ観ていなかったBSプレミアムのプレミアムシネマ「サイコ」を観る。アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作の一つで、興行成績は最高。知名度においても一二を争う。

「サイコ」は有名作なので、これまでにテレビで放送されたものを何度か観ている。一番最初に観たのは、まだ二十代前半だった頃で、テレビ東京で日曜の昼下がりに放送されていた映画劇場においてだった。当時のテレビでは、深夜を除いて洋画を放送する際は必ず吹き替え版であり、最初に観た「サイコ」も当然ながら吹き替えであった。余談であるが、京都ではテレビ東京系の地上波放送を見ることは基本出来ない。テレビ東京の関西準キー局であるテレビ大阪とKBS京都テレビとの放映権争いによるものである。


今でこそサイコサスペンスの名作は数多いが、ヒッチコックの「サイコ」はその先駆けであり、全てのサイコサスペンスがヒッチコックの「サイコ」の影響を受けているといっても、決して過言ではない。

出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ヴェラ・マイルズ、ジョン・ギャビンほか。原作:ロバート・ブロック、脚本:ジョセフ・ステファノ。音楽:バーナード・ハーマン。

バーナード・ハーマンは映画音楽の巨匠で、ヒッチコック映画の音楽も何度も手掛けているが、「サイコ」の音楽は、彼が書いた作品の中でも最高の部類に属すると思われる。シャワーシーンの音楽が特に有名だが、その他の音楽も素晴らしい。オープニングテーマも心の動揺と焦燥感や不安定さ、車の疾走感などを音楽で見事に描き切っており、それでいてどこかエレガントである。

映画史上最も衝撃的な音楽としても知られるシャワーシーンの音楽であるが、シャワーシーンは音楽のみならずカット割りも有名で、ヒッチコックを取り上げた書籍によくシャワーシーンのカット割りの写真が載っている。

今はサイコサスペンス作品も珍しくないので、若い人が「サイコ」を観てもそれほどの衝撃を受けないかも知れないが、公開時にはこの手の映画はほとんど存在しなかった。また押さえておかねばならないのは、ジャネット・リーが当時の人気女優だったということである。そのため観客は最初のうちは、「サイコ」が彼女を主人公とするクライムスリラーだと信じて疑わなかった。ところが……、という点が衝撃だったのである。

今の大都市の映画館は完全入れ替え制が基本だと思われるが、私が若い頃はまだそれほど厳しくなく、途中から入って何度も映画を観るということも可能だった。だが、ヒッチコックは全ての映画館に途中入場を禁じる旨を言い渡したという。有名な作品なので、ストーリー展開を全て知っている人も多いと思うが、少しだけ内容を明かすと、主役と思われたジャネット・リーの出演シーンは、映画が半分にもたどり着かないうちに終わってしまい、その後二度と現れない。途中から映画館に入った客が、「なんでジャネット・リーが出ていないんだ?」と不審がるのを防ぐための措置であった。

これまた有名な話であるが、「サイコ」は便器がスクリーンに映る映画史上初の作品である。検閲があり、日常生活で隠されている部分は撮影しないという決まりがあった。当然ながら検閲に引っかかりそうになったが、「どうしても必要なシーンだから」という説得が成功し、カットされることなく上映されている。

ノーマン・ベイツを演じたアンソニー・パーキンスは、これが出世作となり、日本でも人気が出てCMにも出演している。アイビーリーグのコロンビア大学卒というインテリであり、ノーマンがしょっちゅう飴をなめているというのは、パーキンスが出したアイデアである。コロンビア大在学中にフランス語をマスターしており、「サイコ」がヒットした後は、ノーマンのイメージに固定されるのを嫌い、パリに移住してフランス映画への出演を続けた。だが、結局は彼はノーマンから逃れることは出来ず、人気に翳りが見えてからはヒッチコック以外が手掛けた「サイコ」シリーズに出演せざるを得なかった。同性愛者であったことも彼を苦しめたという。1992年、エイズが原因の合併症により他界。


ちなみに「サイコ」は、脚本、音楽などはそのままに1998年にカラー映画としてリメイクされている。監督はガス・ヴァン・サントが担当し、製作側もかなり力を入れたことが窺われるが、大コケに終わり、ヒッチコックの偉大さが改めて浮かび上がる結果となった。

6月17日(木)

昨日は久しぶりの雨。今日も雲は多めだったが晴れる。



京都市京セラ美術館で、国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」を観る。二度目である。ビデオ映像など以外は写真撮影可であるが、前回はネフェルティティの頭部像のみ写真を撮った。それで十分だと思っていたのだが、「ピーコ&兵動のピーチケパーチケ」で中山優馬が色々と写真撮影しているのを見て、やはりいくつかはスマホに収めておこうと思い立ち、再び京都市京セラ美術館に赴くことになった。

今回は前回よりも遅い時間だったが、人が比較的多めである。写真撮影可という情報もテレビなどで伝わっているようで、スマホやガラケーではなく、デジカメを持ってきて撮影している人もいる。

撮影対象として最も良いのがネフェルティティの頭像だというのは変わらないが、今度は横顔(プロフィール)も撮影してみる。ハトシェプスト女王のスフィンクスも被写体として絶好であり、仏像のようなアルカイックスマイルが良い。ハトシェプスト女王のスフィンクスも正面からの画も良いが、横顔は更なる美しさを湛えている。日本人とは違って鼻が高く、掘りも深めなので横顔が映えるのだ。
名前だけは有名だが、早逝したため正体がよく分からないツタンカーメン(トゥトアンクアメン)を描いたレリーフも写真に収める。
ツタンカーメンについては暗殺説が有名であるが、現在では暗殺は否定されつつある。遺伝子検査によるとツタンカーメンは生まれつき病弱で左足が不自由であり、マラリアに感染した時に不自由だった左足を骨折してしまったため免疫力が下がり、死に至った可能性が高いそうである。

前回は古代エジプトについて、特に知識を入れていかなかったが、今回は前回訪れた時に京都市京セラ美術館の売店で買ったエジプト神話に関する文庫本を読んでいったため、展示物やそれが示す意味の理解がある程度まで可能になっていた。予備知識は時には邪魔になることがあるが、やはり少し予習をして行った方が理解度が高まることは確かなようである。


7月10日からは、新館の東山キューブで「THE ドラえもん展」が始まるのだが、京都市京セラ美術館内にはすでに何体ものドラえもん像が設置されており、多くの人がカメラを向けていた。


東山キューブの入り口とは反対の方角から外に出て、東山を借景とした日本庭園を眺める。時折、鯉が飛び跳ねて水面を打つ。

「水無月や龍に成りたき鯉の音」

6月18日(金)

録画してまだ観ていなかった、BSプレミアムのプレミアムシネマ「断崖」を観る。アルフレッド・ヒッチコック監督作品。このところプレミアムシネマではヒッチコック作品が立て続けに放送されている。

原作:フランシス・アイルズ、音楽:フランツ・ワックスマン。
出演:ケーリー・グラント、ジョーン・フォンテイン、ナイジェル・ブルース、セドリック・ハードウィック、デイム・メイ・ウィッテイ、オリオール・リーほか。アメリカ映画だが、イギリスを舞台としている。全米公開は1941年11月14日ということで、日米開戦が目前に迫っていた。

「断崖」は十代の頃に観ているはずだが、今振り返ると、あの当時は何も分かっていなかったように思う。

影のある二枚目俳優で、ヒッチコック作品の常連であったケーリー・グラントが本領を発揮しているが、世間知らずな田舎の富豪の娘から一人の女性へと自立していくリナを演じたジョーン・フォンテインの演技は更に素晴らしく、1時間40分と短めの映画であるが、冒頭とラストでは全くの別人になっている。ジョーン・フォンテインは、この演技が認められ、第14回アカデミー賞で主演女優賞を獲得している。

物語は、列車のコンパートメントで、リナとジョン・エイスガース(愛称はジョニー。ケーリー・グラント)が出会うことから始まる。色男として新聞にも載るジョニー・エイスガース。リナはたまたまその記事を目にし、ジョニーが映った写真を切り抜き、読んでいた本に挟んだ。ウイットに富んだ会話を行うジョニーにリナは才気を感じる。

再会した二人は瞬く間に恋に落ち、結婚を決める。海外に新婚旅行に出掛け、ジョニーが改装させた新居に落ち着いた二人。だが、ジョニーがとんだ甲斐性なしだと判明する。男前で人当たりが良いので、これまで色々な人がお金を貸してくれたが、ジョニー自身はこれまで一度もまともに働いたことがない。しかも競馬好きで負け続け、多額の借金がある。生活を心配するリナにジョニーは、「君はいつか大金を相続する」と語って、リナをあきれさせる。
とはいえ、ジョニーも働き口について全く考えていなかった訳ではない。いとこが、経営する不動産屋で一緒に働かないかと持ちかけてくれていた。
だが、そこでもジョニーは持ち前の駄目男ぶりを発揮。横領を働いてしまい、解雇に。親族だというので告訴はされなかったが、返済を求められているということをリナは知ってしまう。
ジョニーは親友のビーキー・スウェイト(ナイジェル・ブルース)と共に事業を興す計画を立てる。ウエストサセックス州タングメアの断崖沿いの土地を手に入れ、開発や土地の転売を行おうというのだ。
ジョニーへの失望と信頼の回復を繰り返していたリナだったが、次第に夫が保険金目当ての殺人を企てているのではないかと疑い始める。


ヒッチコック映画のトレードマークの一つとして、「ヒッチコック・シャドー」と呼ばれるものが存在する。長く伸びる影が不穏さを醸し出すのだが、「断崖」ではケーリー・グラントの影が「ヒッチコック・シャドー」として効果的に使われている。

またケーリー・グラント演じるジョニーが、妻のリナのためにミルクを入れたコップをトレイに乗せて暗めの階段を昇るシーンで、ミルクが毒々しく光る。実はこれはミルクを入れたコップに電球を仕込んで光らせるという、ヒッチコック演出の中でも特に有名なものの一つである。ヒッチコックの卓越した発想力が窺われる演出だ。

ワックスマン作曲の音楽が特に前半はずっと流れており、本当の意味でのメロドラマであるが、この映画の主題はずばり「愛」だ。心理サスペンスではあるが、リナはジョニーを、ジョニーはリナを誰よりも愛している。そして世間知らずの田舎の富豪の娘と、見た目が良いだけの馬鹿男が、夫婦として成長していくという人間ドラマでもある。

6月19日(土)

「エレキの神様」と呼ばれた寺内タケシが死去。82歳。茨城県土浦市に、市議会議員にもなった実業家と三味線の家元の子として生まれ、父親が電気業も営んでいたことから、エレキギターの原型を自力で生み出したとされる(異説あり)。
幼時から音楽に親しみ、ギターやマンドリンの演奏を得意として、マンドリンでは全国大会での優勝も経験。マンドリン・オーケストラの名門を擁することで知られる明治大学に推薦で進学するが、「理系に進んで欲しい」という父親の希望を受け入れて、すぐに中退し、関東学院大学工学部電気工学科に入り直した。関東学院大在学中は空手部に所属し、後に部長も務めている。
当時は、「ギターを持っているのは不良、ましてやエレキなんて」という風潮があり(多分、当時も本当の不良は音楽なんてやらなかったと思うが)、寺内は偏見を覆すために、ベートーヴェンの「運命」や津軽じょんがら節といったアカデミックな音楽もエレキギターで演奏。日本各地の高校や芸術鑑賞会に出演し、エレキサウンドの普及と理解を広めた。
私も高校2年時に千葉県文化会館で行われた芸術鑑賞会と、2009年に京都芸術劇場春秋座で行われたキャンパスコンサートで、寺内の実演に接したことがある。



午後4時から、京都四條南座で、市川海老蔵企画公演「いぶき、」を観る。といっても海老蔵が出る公演ではなく、コロナ禍によって若手歌舞伎俳優が舞台に立つ機会が激減してしまったことを憂いた海老蔵が企画した公演である。南座ではついこの間まで海老蔵主催の公演が行われており、「いぶき、」に出演する若手歌舞伎俳優達も帯同して、海老蔵の公演が終わった後の南座の舞台上で稽古をさせて貰っていたという。
タイトルの「いぶき、」に「、」が入っているのは、次に続くこと、歌舞伎の未来への継承の意味が込められているという。

まず市川九團次による挨拶と作品解説があり、続いて「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」より“願絲縁苧環(ねがいのいとえにしのおだまき)”と“三笠山御殿”、そして「乗合船恵方万歳(のりあいねぶえほうまんざい)」が上演される。

九團次さんとは知り合いの知り合い、もしくは友人の友人という関係で、一度、バーで話したことがある。九團次さんが出演していた舞台「Honganji」のことを話したり、私は市川染五郎(現・二代目松本白鸚)の「野バラ咲く路」が歌えるのでうたってみたりした。


市川九團次の挨拶と作品解説。「妹背山婦女庭訓」の上演される段に至るまでのあらすじや人物紹介などを行い、全員が初役であることを告げる。


「妹背山婦女庭訓」は、飛鳥時代を舞台にした作品であるが、歌舞伎の演目の常として事実からは少し離れている。背景にあるのは藤原氏と蘇我氏の対立である。

私が子どもの頃には、645年に蘇我蝦夷を暗殺して成し遂げられたのが「大化の改新」と教わったが、今は蘇我入鹿暗殺は「乙巳の変」と呼ばれ、その後の「大化の改新」とは離して教えられるようである。
それはともかくとして、飛鳥時代に隆盛を極めた蘇我氏と、それを快く思っていなかった中臣氏(後に政に携わるようになった血統は藤原氏を名乗るようになる)の対立という史実がベースにある。ただ、蘇我入鹿が登場するのは史実とは異なり、天智天皇の時代ということになっている。

蘇我蝦夷は蘇我馬子の孫であるが、「妹背山婦女庭訓」では妖術を使う悪漢として登場する。蘇我入鹿の父親が蘇我蝦夷というのは史実通りであるが、蝦夷に子が出来ず、妻に白鹿の生き血を飲ませたところ子を宿し、超人的な能力を持つ入鹿が生まれたということになっている。入鹿の名もこの怪談由来とされている。実際には、祖父が馬子で孫が入鹿という名であることから察せられるように、飛鳥時代には動物の名を子どもに付けることが流行っていたのである。動物の名を付けることは、幕末の土佐でも流行り、坂本龍馬直柔(なおなり)の通称である龍馬も流行りに乗ったものである。キラキラネームというものがあることからも分かる通り、日本は命名が比較的自由な国なので、命名の流行りというものも存在する。

超人・蘇我入鹿を倒すためには、爪黒の鹿の生き血と疑着(執着、嫉妬)の相の女の生き血を混ぜたものを笛に入れて吹くという方法しかないので、疑着の相の女を探す、という話の骨子がある。

なお、史実では蘇我入鹿の時代の都は飛鳥に存在したが、「妹背山婦女庭訓」では、都が平城京に置かれていた時代に変更され、藤原氏の氏神で、この頃にはまだ存在していない春日大社が舞台になっていたりするが、全ては芝居の嘘であり、歴史考証的な事柄は大して意味がない。ただ由来については適宜解説していく。

まず鹿の話であるが、入鹿という名と、鹿が春日大社のお使いであるということに由来している。

“願絲縁苧環”(道行戀苧環)に登場するのは、入鹿の妹である橘姫(モデルは県犬養橘三千代であるが、彼女は実際には蘇我氏の娘ではない。演じるのは中村芝のぶ)、烏帽子折求女(もとめ)実は藤原淡海(たんかい。モデルは藤原不比等。演じるのは大谷廣松)、杉酒屋娘のお三輪(中村児太郎)の3人である。
春日大社の鳥居前が舞台である(原作の人形浄瑠璃では、石上神宮の鳥居前となっている)。蘇我氏と藤原氏は対立しているが、橘姫と藤原淡海は互いの素性を知らずに恋仲になっている。一方、藤原淡海にはもう一人、男女の契りを結んだ相手がいる。杉酒屋の娘であるお三輪である。藤原淡海は烏帽子折職人の求女を名乗っていたため、お三輪は彼の正体が藤原氏の貴公子であり、身分違いの恋であるということを知らない。そのため、橘姫のことを責め始める。
険悪な雰囲気となったため、橘姫はその場を去るのだが、求女は橘姫の振袖に赤い苧環(おだまき)の糸を結びつけ、その糸を頼りに跡を追う。お三輪も求女の着物に白い苧環の糸を結びつけ、同じく跡を追おうとするのだが、白い糸は切れてしまう。

大和国が舞台ということで、大和ゆかりの様々な伝承が盛り込まれている。
まず、苧環でありが、これは大和・吉野で義経と別れた静御前の謡「しずやしず しずの苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな」が元ネタである。この謡には更に元ネタとなる本歌があり、『伊勢物語』に載っている在原業平の歌「いにしへの倭文(しず)の苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな」がそれである。苧環とは糸車(糸巻き)のことで、輪廻をも連想させる「繰り返し」に掛かる言葉であるが、同時に「糸し糸し」ということで「恋し恋し(戀し戀し)」にも繋がっている。
また、着物に糸を付けて、相手の行方をたどるというのは、「三輪山伝説」に由来する。お三輪という名なのはそのためである。

二組の悲恋の男女が登場し、「日本版ロミオとジュリエット」とも呼ばれる「妹背山婦女庭訓」。そのため、お三輪の憂いの表現が重要になるのだが、中村児太郎はきめ細やかな演技を披露。十分に合格点に達している。苧環の糸が切れたことを知った時の絶望の表情などは見事であった。


“三笠山御殿”。蘇我氏の館があったのは、飛鳥の甘樫丘であるが、舞台が平城京になっているため、三笠山(春日山)に変わっている。

橘姫が三笠山御殿に戻り、続いて苧環の糸をたどって求女(藤原淡海)が御殿に入ってくる。三笠御殿に戻ったことで橘姫が蘇我氏の娘であること悟った求女は、橘姫に「入鹿が盗んだ十握の剣を取り戻したら祝言を挙げよう」と約束する。
苧環の糸が切れてしまった三輪だが、なんとか自力で三笠山御殿にたどり着く。そして、偶然出会った顔馴染みの豆腐買おむら(市川新蔵)から求女の正体と、二人が祝言を挙げようとしていることを明かされる。
自らを「賤(しず。ここでも静御前の謡が掛かっている)の女」と語るお三輪には、到底叶わぬ恋であるのだが、それでも一目求女に会いたいと屋敷に上がったところを、現れた女官達に散々になぶり者にされる。お三輪を一目で庶民と悟った女官達は、「到底無理」と分かっていながらお三輪に貴族階級の礼儀作法を真似るよう強要し、徹底していじめまくる。
かなり嫌な印象を受けるシーンであるが、これが漁師鱶七(ふかしち。正体は藤原鎌足の家来である金輪五郎今国。演じるのは市川九團次)に刀で胸を刺し貫かれてもお三輪が喜ぶ伏線となっている。身分違いを乗り越えてもお三輪にはいじめが待っているだけ、ならば疑着の相の女として生き血を入鹿追討に使われた方が求女こと藤原淡海のためとなる。犠牲の美しさへと繋がるのである。
お三輪は輪廻の苧環を手に、来世で求女こと淡海と夫婦になることを夢見ながら息絶える。

“三笠山御殿”でも中村児太郎の繊細な演技が見物で、初役とは思えないほどの好演となっていた。



「乗合船恵方万歳」。江戸の隅田川沿いが舞台である。ということで、常磐津節の浄瑠璃の太夫も『伊勢物語』に掛けた「都鳥」という言葉を歌う。
隅田川を渡り、岸に漕ぎ着けた船。女船頭(中村児太郎)以下、田舎侍(市川新蔵)、芸者(中村芝のぶ)、通人(市川新十郎)、白酒売(市川右若)、大工(市川升三郎)、子守(市川福太郎)の計7名は、数からも分かる通り、七福神に見立てられている。そこに三河萬歳の鶴太夫(市川九團次)と才造の亀吉(大谷廣松)が現れ、全員が芸を披露することになるという、華やかな演目である。
ストーリーらしいストーリーはない歌舞伎舞踊の演目であるが、皆、洒脱な感じもよく出ており、若々しさに溢れる上演となっていた。

6月20日(日)

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団×藤野可織 オーケストラストーリーコンサート「ねむらないひめたち」を聴く。

緊急事態宣言発出のため、4月25日から5月31日まで臨時休館していたロームシアター京都。今日の公演が再スタートとなる。

京都市出身の芥川賞受賞作家である藤野可織と京都市交響楽団によるコラボレーション。藤野の新作小説の朗読と、パリゆかりの作曲家の作品による新たな表現が模索される。指揮は三ツ橋敬子。

朗読を担当するのはAKB48出身の川栄李奈であるが、企画発表時には出演者はまだ決まっておらず、しばらく経ってから川栄の出演が公にされた。

演奏曲目は、ラヴェルの組曲「クープランの墓」より第1曲〈プレリュード〉、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「カルタ遊び」より抜粋、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」より〈夜への前奏曲〉、シベリウスの「悲しきワルツ」、ラヴェルの組曲「クープランの墓」より第2曲〈フォルラーヌ〉、サティ作曲ドビュッシー編曲の「ジムノペディ」第2番(表記の揺れのある楽曲で、ここではピアノ版のジムノペディ第1番のオーケストラ用編曲を指す)、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」より〈マラゲーニャ〉、ドビュッシーの「夜想曲」より〈雲〉、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。シベリウスを除いて、パリゆかりの作曲家の作品が並んでいる。


藤野可織は、1980年、京都市生まれの小説家。同志社大学文学部卒業、同大学大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了とずっと京都市で生きてきた人である。大学院修了後は、京都市内にある出版社でのアルバイトをこなしながら小説の執筆を開始。2006年に「いやしい鳥」で第103回文學界新人賞を受賞し、2013年には「爪と目」で第149回芥川賞を受賞。2014年には『おはなしして子ちゃん』で第2回フラウ文芸大賞を受賞している。
藤野は、今回の企画を持ちかけられてから、初めてロームシアター京都メインホールを訪れたそうで、4階席から舞台を見下ろした時に作品の構想を得たようである。


今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。シベリウスの「悲しきワルツ」演奏後に20分の休憩が入るが、出演者は見た限りでは前半後半ともに変わらない。首席クラリネット奏者の小谷口直子は今日は降り番。他の管楽器パートは首席奏者がほぼ顔を揃えている。

藤野可織の「ねむらないひめたち」は、9歳の少女を主人公とした作品で、新型コロナウイルス流行に絡めた「昏睡病」がまん延する近未来の話である。近未来ではスマートフォンではなくスマート眼鏡というもので情報をやり取りするようになっており、パソコンはまだ用いられているが、キーボードはバーチャルのものに置き換わっているようである。
なお、「ねむらないひめたち」のテキストは、「新潮」7月号に掲載されている。「新潮」7月号には野田秀樹の新作戯曲「フェイクスピア」も載ってるため、舞台芸術好きにはお薦めであるが、野田秀樹の戯曲は多くの場合、上演よりもテキストの方が勝ってしまうため、観る予定のある方は、舞台を鑑賞後にテキストを読むことを勧めたい。

上演前にまず藤野可織が登場して挨拶を行い、この作品が朗読とオーケストラが奏でる音楽とが一体となったものであるため、曲ごとの拍手はご遠慮頂きたい旨を述べる。京都市の生まれ育ちということで、柔らかな京言葉で話し、雅やかな印象を受ける。

京都市交響楽団に客演する機会も多い三ツ橋敬子。バトンテクニックの高い非常に器用な指揮者だが、今に至るまでオーケストラのポストは得られないでいる。平均点の高いタイプながら、何が得意なのか分からない指揮者でもあったが、これまで聴いた限りでは、現代音楽、モーツァルトなどで好演を示しており、フランスものも合っているようである。

朗読担当の川栄李奈。AKB48在籍中は、お勉強が不得意なお馬鹿キャラとして知られたが、握手会で襲撃されて負傷。トラウマにより「握手会にはもう出られない」としてAKBを卒業した。その直後から本格的な女優活動に入るが、CMや映画、テレビドラマなどで、「あのお馬鹿キャラの川栄」とは思えないほどの才気煥発ぶりを発揮。上り調子の時にできちゃった結婚で休業に入ってしまい、「ああ、やっぱり」と思わせたりもしたが、復帰後も活躍はめざましく、大河ドラマ「青天を衝け」に一橋慶喜正室の美賀君役で出演。次期NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」のヒロインの一人を演じることも決まっている。女優は天職なのだろう。
声優としても活動しており、映画「きみと、波にのれたら」では主演声優を務めている。

舞台後方にスクリーンがあり、三好愛のイラストと、藤野可織の「ねむらないひめたち」のテキストが映し出される。

主人公の「あたし」は、タワーマンションの37階に住んでいる。年齢は9歳で、今年13歳になる姉がいる。
姉妹が両親と住むマンションの部屋にはバルコニーがあるのだが、バルコニーにはいつも嵐のような強風が吹き荒れており、母親は、「嵐はすごく危険」「だからバルコニーには出ちゃいけません」と言う。だが、姉妹は学校から帰るとバルコニーに出て、姉は双眼鏡で外を覗き、妹のあたしは機関銃タイプの水鉄砲で姉が指示した人物に向かって狙撃を行った。「射殺」したのだが、当然ながら水鉄砲で人は殺せない。殺し屋ごっこである。マンションの周りには様々なタイプの人がいたが、スパイだの異星人だの、不思議な人々もいる。もっとも、これは姉の見立てによるもので、実際にスパイや異星人がいた訳ではないと思われる。

そうしているうちに、人々が昏睡状態になるという謎の病が流行し、人々は感染を避けるため外出せずに家に籠もるようになる。姉妹が通う学校も休校になり、両親もリモートワークでいつも家にいるようになる。両親は姉妹に好きなだけ映画を観ることを許可し、姉妹は、暗殺者ものの映画を観まくるようになる。だが、予想に反して暗殺者達の仕事そのものよりもロマンスに焦点を当てた作品が多いことに気づく。
やがて両親が昏睡病に感染。砂色の飴で覆われたようにコチコチに固まってしまう。
あたしは、新たにアカウントを開設。「ソラコ」という名で自撮りの写真などを載せたが、誤って住所も見えるように載せてしまったため、奇妙な男達が何人も「君を助けたい」と言ってタワーマンションの下までやって来るようになる。姉妹は、カップアンドソーサーのカップやジャムの瓶などをバルコニーから落とすことで彼らを次々に殺していき……。


選ばれた楽曲を見ると、「死」に直結するイメージをもった作品が多いことに気づく。
射殺ごっこが、本物の殺人へと変わり、映画で観るような暗殺者の恋愛の代わりに、異様な人々の来訪があるという展開が高度に情報化された現実社会の不気味さを表しているかのようである。
やがて舞台はコンサートホールの4階席へと移り、未来への希望と不信がない交ぜになったまま再び殺し屋としての社会との対峙が始まる。

設定が近未来ということで、不思議な話が展開されるが、外部の危機的状況とそんな中でもネット上や現実社会で繰り広げられる不穏さが描かれている。そんな中で未来の夢や漠然とした期待に浸ることなく目の前を見つめ続けること、今を生き続けることと、引いては小説を書くことの意義が仄かに浮かび上がる。


川栄李奈の朗読であるが、予想よりも遙かに上手い。地の文とセリフの使い分け、感情の描き分け、抑揚やメリハリの付け方などが巧みで、声自体も美しい。女優の朗読に接する機会は多くはないながらもあるが、少なくともこれまでに聴いた二十代の女優の中ではトップだと思われる。全身が表現力に満ちあふれており、表現者としてのエネルギーやパワーの総体が同世代の他の女優よりも大きいことが察せられる。やはりこの人は女優が天職なのであろう。

三ツ橋敬子指揮する京都市交響楽団も煌びやかな演奏を展開。ドビュッシーやラヴェルの音楽ということで、浮遊感や典雅さの表現が重要になるが、これも十分にクリアしている。後は奥行きだが、これは更に年齢を重ねないと表出は難しいようにも感じる。


本編終了後にアフタートークがある。司会は、京都市交響楽団からロームシアター京都の音楽事業担当部長に異動になった柴田智靖。三ツ橋敬子、藤野可織、川栄李奈、会田莉凡の女性4人が参加する。

曲目は、ロームシアター京都から提案されたものが中心だったようだが、三ツ橋敬子は、普段余りフランス音楽を演奏しない京都市交響楽団で、元々別の物語性を持つ音楽を奏でることの難しさを語った。ちなみにリハーサル時と本番とではオーケストラの色彩が大きく異なっていたため驚いたそうである。

藤野可織は、小説家の仕事は自己完結であるが、こうしてオーケストラとのコラボレーションという協働作業の機会を得られたことへの面白さを語る。ちなみに司会の柴田は、表現したかったことを藤野に聞いていたが、「それを小説家に聞いちゃ駄目でしょ」と思う。

川栄李奈は朗読で緊張したことを語り、手の汗でページがめくれないんじゃないかとヒヤヒヤしたことを打ち明ける。また、個人的に京都の街が大好きだそうで、お土産をいっぱい買って帰りたいと笑顔で話していた。

会田莉凡も、京都市交響楽団でフランス音楽の演奏を行う難しさと新型コロナ流行下での演奏活動の困難さを語り、更には京都市交響楽団の活動の宣伝も忘れなかった。

6月21日(月)

NHKオンデマンド「英雄たちの選択スペシャル 決戦!西南戦争 ラストサムライ西郷隆盛の真実」を見る。2018年に放送されたもので、昨日の午後1時から再放送されている。再放送の録画の予約をしておいたのだが、ハードディスクの容量が足りず、ラスト20分ほどが録画されていなかったため、NHKオンデマンドで確認することにした。

再現VTRとロケ、スタジオでのトークからなる構成で、軍事方面の解説者として友人の竹本知行(現・安田女子大学准教授)が二度ほど登場する。

再現VTRで山県有朋を演じるのは懐かしの河相我聞。今は俳優専業ではないはずだが、俳優としての活動は続けているはずである。

クライマックスとなるのは田原坂。最後の内戦となった西南戦争最大の激戦地である。NHK紅白歌合戦に対抗して日本テレビ系が年末に放送していた大型時代劇の一つ「田原坂」(西郷隆盛を里見浩太朗が演じた)の由来としても知られる。年末大型時代劇の「田原坂」は、それまでの「白虎隊」に見られるような群像劇ではなく、西郷隆盛一人の人生を追ったスタイルとなっていたが、そのために不評で、視聴率も振るわなかったと記憶している。


西郷の下野については、征韓論論争での敗北が引き金となっているが、鹿児島に帰った西郷の下に、不平を抱く多くの士族が集結。西郷が開いた「私学校」で武術の研鑽に励んだ。
中央を退いても人材の育成に努めた姿は多くの人の共感を呼び、私の出身地でもある千葉県にも、敬愛大学や千葉敬愛高校などを運営する千葉敬愛学園が存在する。敬愛は、西郷の座右の銘である「敬天愛人」が由来である。

今では「士農工商」という言葉も学校では教えなくなっているが、当時は皇族や公家、将軍家や大名家などを除いた人々の身分は、「士族とそれ以外」からなっていた。そして勝海舟や坂本龍馬のように、先祖が御家人身分などを金で買って士族に加わるものもあり、思ったほど厳しい身分社会という訳でもなかった。
だが、明治維新となり、士族はその特権を次々と失っていく。武士の魂とも呼ばれる刀を奪う廃刀令、そして仕えることで俸禄を頂くという体制も主君が華族となって東京に移り住むことで徐々に崩壊していく。そして1869年の秩禄処分により多くの士族が生活の糧を失う。商売に手を出す者もいたが、ノウハウが全くないため次々と失敗。これが「武士の商法(士族の商法)」と呼ばれるようになる。
秩禄体制の崩壊に深く関わってくるのが、徴兵令の施行である。国民皆兵を目指したことで、士族が特権階級である意義は事実上消滅したことになる。

そうした状況下で不平士族が次々と決起。佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などの士族反乱が立て続けに起こる。

そして不平士族の首領として担がれることになったのが、鹿児島に隠居していた西郷隆盛である。下野していたとはいえ、戊辰戦争の英雄であり、陸軍大将の称号は保持。その魅力は全国の士族達を引きつけていた。

ただ、西南戦争自体は、西郷隆盛以上に桐野利秋(幕末は中村半次郎を名乗る。あだ名はご存じ「人斬り半次郎」である)が積極的に関わっており、西南政争を「桐野の戦争」と呼ぶこともある。桐野は徴兵制が士族の存在意義を否定するものと捉えていた。

西郷の決起は本意でなかったとされるが、新しい解釈として、西郷もいずれは反乱を起こす気でいたが、薩摩士族の暴挙や西郷暗殺計画を知ったことにより、十分に準備を整えることが出来ないまま立ち上がらざるを得なくなったという説が紹介される。神風連の乱が起こった際に西郷が、「ひとたび相動き候わば、天下おどろくべきの事をなし」という書状を友人に送ってるのがその根拠とされるが、漠然とした希望を語っただけの可能性もあり、根拠として十分とはいえないように思われる。文面から察するに、この時はまだ、今すぐ何らかの行動を起こすつもりはなかったと思われる。文章がやや悠長だ。

ともあれ、西郷は桐野と共に決起。まずは新政府軍の鎮台が置かれた熊本城を目指す。西郷軍が動いた時点での熊本城の守りは手薄であったが、当時最新鋭の電信、鉄道などを駆使する新政府側は速やかに熊本城内に援軍を送ることに成功。結局、西郷軍は谷干城を司令官として置く熊本城を落とせぬまま、博多から迫り来る新政府軍の援軍と退治するため、熊本城の北にある田原坂に陣取り、迎撃態勢を整える。
従来は、田原坂の一本道を巡る死闘とされていた田原坂の戦いだが、現在では調査により、西郷軍は田原坂の一本道の上方に砦を築き、地の利を生かす戦法を取ったことが分かっているようだ。

天下の堅城、熊本城とはいえ、援軍が来なければ籠城側は負ける。田原坂で援軍を押し止め、同時に分隊が熊本城への攻撃を続けることで、南北同時勝利を目指した作戦であった。

ここでまた徴兵制の問題が絡んでくる。西郷軍に所属するのはほぼ全員が士族。一方、新政府軍は、平民身分出身者が軍事教練を受けて参加していた。勿論、士族出身者も幹部を中心に含まれていたが、主力は平民階級の兵士である。
その後、白兵戦で勝てぬと踏んだ新政府側は、士族を中心とした警視局の抜刀隊を組織。士族出身者を特別視することで徴兵制を否定するような戦術だったが、日本刀での斬り合いの訓練を幼少時から受けていたのは士族階級出身者のみであるため、背に腹は代えられなかった。警視局抜刀隊には、元新選組の三番隊組長・斎藤一こと藤田五郎が参加していて、新聞にも載るほどの獅子奮迅の激闘を演じ、新選組隊士の維新後唯一の活躍となっている。
会津新選組局長、山口二郎を名乗ったこともある斎藤一こと藤田五郎の活躍などもあって、戊辰戦争で負けた会津出身の抜刀隊員が、「戊辰の敵! 戊辰の敵!」と叫びながら激闘を繰り広げたという有名な話があるが、これは誤解によるものとされており、実際に抜刀隊の主力となったのは、旧薩摩藩士だそうである。

江戸時代の薩摩藩(島津家)の統治体制は独特であり、一国一城令の時代に100を超える支城(外城)を持つことが許されていた。その代わりなのかどうかは分からないが、島津氏も譲歩しており、居城の鹿児島城は、鶴丸館という本来の名の方が相応しい質素な居館であり、堅固で巨大な城郭は築いていない。支城を守るために武士を多くする必要があり、他の大名家の家臣なら農民階級に属する人々が苗字帯刀を許されて士族に組み入れられ、半農半士というスタイルで生活していたため、薩摩における武士の割合は、子女も含めて15%から25%ほどにもなる。江戸時代に全人口において武士が占める割合は、子女を含めて5%から7%といわれているため、薩摩の武士層の厚さが分かる。ただ一方で、鶴丸館の周りに屋敷を構える城下士と、支城を固める役割を持つ外城士では身分に違いがあり、外城士は郷士とも呼ばれ、自作農が許される代わりに俸禄なしなど待遇は良くない上に、城下士からは蔑まれていた。維新になっていよいよ生活出来なくなった外城士からは東京に出て警視局に入る者が多く出る。そして、因果なことに抜刀隊として同国人同士で斬り合うことになるのである。抜刀隊を支えたのは戊辰の怒りではなく、階級体制に対するかつての不満だったようだ。

ところで、島津氏の居城は鶴丸城のみで、親戚の藩もあったが、支城の数の方が遙かに多く、それを守る外城士=郷士の方も当然ながら多かった。西南戦争においても、城下士=西郷軍、外城士=新政府軍という単純な二極化ではなく、西郷軍も数からいえば郷士出身の者の方が圧倒的に多かった。郷士も「私学校」への入学を許されたためで、統計を見てみると、城下士は郷士の10分の1強の数しかいない。郷士は半農半士なので、剣術とともかくとして、砲術、射撃、軍事的知識などについては城下士ほどには通じていないはずである。

戊辰戦争に参加した薩摩軍の兵士は、大半が身分は低めであったものの城下士で、郷士の大半は実戦経験を持っていない。また、これまで郷士を見下してきた城下士に部下として仕える意味も必ずしも持っているわけではない。そうした状況でありながら、数を頼りに挙兵したことが、西郷方のそもそもの誤りであった可能性もある。

6月24日(木)

左京区岡崎の京都府立図書館に行くが、休館日だったので、ロームシアター京都に行って予約していたチケットを受け取り、3階の共通ロビーで『ぼくらのなまえはぐりとぐら』 を少し読んでから帰路に就く。途中、岡崎神社で茅の輪くぐりを行う。

今日は京都御苑の近くにある小野山浄慶寺で仏教の講座に参加する。
帰り道、空にストロベリームーンが浮かんでいるのが見える。「ストロベリーナイト」を代表作とする竹内結子のことを思い出した。

「かの女(ひと)が雲間に消えしあの日より初めて仰ぐストロベリームーン」

6月25日(金)

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第657回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

先月行われた第656回定期演奏会、鈴木優人が初めて京響の指揮台に立った演奏会は、残念ながら緊急事態宣言下ということで、ニコニコ生放送での配信のみの無観客公演となったため、会場に聴衆を入れての演奏家は2ヶ月ぶりとなる。ただ、緊急事態宣言の余波のためか、客の入りは良くなかった。クラシックコンサートの聴衆は、昔も今もお年寄り中心であり、緊急事態宣言が解除になったからといってすぐには客は返ってこない。


曲目は、ウェーベルン(ジェラード・シュウォーツ編曲)の「緩徐楽章」(弦楽合奏版)、尾高惇忠(おたか・あつただ)のヴァイオリン協奏曲(世界初演。ヴァイオリン独奏:米元響子)、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。

午後6時30分頃から、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。今年2月に76歳で逝去した尾高惇忠(1944-2021)は、広上淳一の師匠ということで、公演プログラムにも広上の筆による尾高惇忠追悼メッセージが寄せられているが、プレトークも尾高惇忠の話が中心になる。
奥田佳道は、広上が指揮したマーラーの「復活」の解釈を指摘したことで広上に評価されていたような記憶があるが、かなり昔の話なので本当にそれが奥田だったのかはよく覚えていない。

広上淳一は湘南学園高校音楽コースの出身で、尾高惇忠、そしてその弟で指揮者の尾高忠明の後輩である。なお、その後に湘南学園高校は、難関大学を目指す進学校に模様替えしたため、音楽コースは現存していない。

中学校の頃は桜田淳子の追っかけをしていたため成績が振るわず、進路に悩んでいた広上淳一。中学校の校長先生が進路のアドバイスをしてくれたそうで、「あなたは音楽の道に進みなさい。湘南学園高校の音楽コースに女性の良い先生がいるから、そこに行きなさい」ということで、湘南学園高校は小学校から高校までの一貫校だったが、高校から特別に編入を認めてくれたそうである。そして湘南学園高校音楽コースの、女性の先生のアシスタントとしてついていたのが実は尾高惇忠だったそうだ。

奥田佳道が以前、尾高惇忠に、「広上さんの最初のレッスン覚えてますか?」と聞いたことがあるそうなのだが、尾高によると、「覚えてるよ。何にも言うこと聞かない奴だった」そうである。「課題で出したピアノ曲の演奏もいい加減だった」そうなのだが、「上手いピアノじゃないが、味があるので、才能はあるかも知れない」と思ったそうである。
その他にも、尾高惇忠がレッスンの合間に珈琲を入れる習慣があり、それを楽しみにしていたり、尾高が自作をピアノで弾きながら解説を入れるレッスンに感激したという話を広上はする。

「ペール・ギュント」組曲については、広上が縁を感じた時に取り上げることの多い曲なのだそうなのだが、私が初めて広上の実演に接した時のメインプログラムも「ペール・ギュント」組曲第1番第2番であった。1997年4月4日に東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団の土曜日マチネーの定期演奏会。私がN響の学生定期会員になって初の演奏会でもあった。当時、土曜日マチネーのN響定期演奏会はBSで生放送されていたが、数年前にこの時の演奏がEテレで再放送されているはずである。「アニトラの踊り」で、指揮台の上でステップを踏みながら踊っていた広上さんの姿が今も目の前に甦る。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン客演首席は直江智沙子。今日はヴィオラ首席にソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。
尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲だけで、他は「ペール・ギュント」からの出演である。


ウェーベルンの「緩徐楽章」。元々は弦楽四重奏のための作品だが、シアトル交響楽団の指揮者として膨大な録音を残していることでも有名なジェラード・シュウォーツ(ジェラード・シュワルツ)が弦楽合奏にアレンジ。1982年に初演されている。
グリーグを思わせるような叙情的なメロディーと、マーラーを思わせるような響きが特徴で、今日のプログラムの幕開けに相応しい。
広上の立体的な音響作りもいつもながら優れている。


尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲。2020年5月30日に完成し、尾高惇忠の遺作となった。同年2月に病気が見つかり、闘病しながら作曲を行っていたようである。

尾高惇忠は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)育ての親であり年末の第九を初めて指揮したともいわれる指揮者・作曲家の尾高尚忠(おたか・ひさただ)の長男である。前述通り実弟は指揮者の尾高忠明であり、音楽一家であった。また尾高家は渋沢栄一の親族であり、尾高尚忠、尾高惇忠、尾高忠明は渋沢栄一の血を受け継いだ子孫でもある。現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」に登場し、田辺誠一が演じている尾高惇忠は曾祖父であり、その名を受け継いでいる。
東京芸術大学作曲科で矢代秋雄らに師事。その後、パリ国立高等音楽院に留学し、モーリス・デュリュフレらに師事した。作曲家としては寡作であり、母校の東京芸術大学での教育活動を中心に、室内楽や歌曲伴奏のピアニストとしても活躍している。父親である尾高尚忠の名を冠した作曲賞、尾高賞を二度受賞。2001年には別宮貞雄を記念した別宮賞も受賞している。

ヴァイオリン独奏の米元響子は、実は今日が誕生日だそうである。桐朋学園の「子供のための音楽教室」に学び、1997年にイタリアのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、史上最年少となる13歳で入賞。その後、モスクワのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝に輝いている。パリで学んだ後にオランダに渡り、マーストリヒト音楽院修士課程修了。現在は母校のマーストリヒト音楽院の教授も務めている。

広上のプレトークによると、尾高惇忠は「音楽は美しくあらねばならない」と考えていたそうで、「美しい現代音楽」を目指していたそうである。

第1楽章はオーケストラによる鮮烈な響きでスタートし、ヴァイオリン独奏がそれを追うように現れるが、終盤ではスマートなロマンティシズムを湛えた曲想が現れ、色彩感が増していき、ラストで冒頭の音型へと回帰する。近現代のフランスの作曲家や武満徹などにも繋がる妙なる響きが最大の特徴である。

米元のヴァイオリンは、ボリューム豊かな音が特徴。最近流行の磨き抜かれたタイトな音とは異なる。ボリス・ベルキンに師事したそうだが、確かにそんな印象を受ける。技術は高く、揺るぎがない。

第2楽章は、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」の序奏(有名なヴァイオリンソロが加わる前)に似た旋律が展開されていく。叙情的な美しさが印象的である。

第3楽章は一転してダイナミック。ストラヴィンスキーの「火の鳥」に似た曲想が盛り上がりを見せる。

広上は演奏終了後に、米元に、そしておそらくは作品自体にも「素晴らしい」と呟く。
その後、広上は客席にいる女性(おそらく尾高惇忠の奥さん)に向かって、スコアを掲げて見せた。


後半、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。
ノルウェーの国民的作曲家であるエドヴァルド・グリーグ。国民楽派の時代を代表する作曲家でもある。ただグリーグは、ピアノ曲などの小品の作曲を得意とする一方で、大作に関しては思うように筆が進まず、本人も悩んでいた。交響曲も完成させたが、不出来と見なして取り下げている。ということで、オーケストラコンサートで演奏されるのは、ピアノ協奏曲イ短調、「ホルベルク」組曲、そして「ペール・ギュント」組曲など限られる。

「ペール・ギュント」の音楽は、同名のヘンリック・イプセンの戯曲の劇付随音楽として書かれたもので、組曲のみならず劇付随音楽全曲か、それに近い数の楽曲で演奏会が行われることも稀にあり、私はシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の定期演奏会で、そうした上演に接している。
また録音も「ペール・ギュント」組曲ではなく、劇付随音楽「ペール・ギュント」が増えており、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団盤、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団盤、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団盤などが人気である。ブロムシュテットはスウェーデン人、ヤルヴィ親子はバルト海を挟んでフィンランドと向かい合うエストニア出身で、やはり北欧やその隣国出身の指揮者が取り上げることが多いようである。

「戯曲の劇付随音楽」という妙な書き方をしたが、「ペール・ギュント」は、イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲。「安楽椅子の演劇」と呼ばれたりもする)として書いたものであり、舞台が次々と移り変わる上に、自己との対話など形而上的要素を含むため、イプセン自身は上演を想定していなかったのだが、「どうしても上演したい」という国民劇場からの要望に押し切られ、「グリーグの音楽付きなら」という条件で許可。こうしてグリーグの「ペール・ギュント」の音楽が生まれた。
グリーグの音楽が好評だったこともあり、初演は成功。その後も上演を重ねた「ペール・ギュント」だが、やはり読むための戯曲を上演するのは無理があり、その後は「グリーグの音楽のみが有名」という状態になっていく。近年、上演作品としての「ペール・ギュント」再評価の動きがあり、日本でもグリーグの音楽に頼らない「ペール・ギュント」の上演がいくつか行われたが、残念ながら現時点では成功に至っていない。

約四半世紀ぶりに聴く、広上指揮の「ペール・ギュント」。やはり京響の音の洗練度の高さがプラスに働いている。1997年時点のNHK交響楽団も良いオーケストラではあったが、現時点の日本のプロオーケストラの平均的な演奏に比べると野暮ったかったような記憶がある。広上もまだ若く、グリーグのロマンティシズムに飲み込まれていたような感じがあったが、今日は万全の表現力でグリーグの名旋律の数々を巧みに歌い上げる。

とにかく響きが澄み切っており、「オーゼの死」などを聴いていると、「澄み渡った悲しみ」という言葉と、日輪の前を横切っていく雲の片々の映像が目に浮かぶ。
「オーゼの死」は、冒頭のメロディーが「さくらさくら」に似ており、日本でグリーグが人気があるのも頷ける。どことなく演歌っぽいところもあり、コバケンこと小林研一郎が指揮した場合などはド演歌にもなるのだが、広上の場合は土俗性は余り出さないため、過度に感情に傾くこともない。

速めのテンポで壮快に進む「朝の気分」(上野博昭のフルートの涼しげな響きが良い)、蠱惑的な雰囲気満載の「アニトラの踊り」(今回は流石に広上さんも無闇には踊らず)、京響の鳴りの良さが痛快な「山の魔王の宮殿にて」、異国情緒と華やかさに溢れた「アラビアの踊り」、ヒンヤリとした音色でノスタルジックに歌われる「ソルヴェイグの歌」などいずれも見事な出来である。「ソルヴェイグの歌」では、広上はノンタクトでバネ仕掛けの人形のように手足を揺さぶるというかなり個性的な指揮を見せていた。アンサンブルも完璧とまでは行かなかったが、キレとボリュームと立体感があり、オーケストラを聴く醍醐味がホールいっぱいに弾けていた。


今日はアンコール演奏がある。尾高惇忠の先祖である渋沢栄一が今年の大河ドラマの主役ということで、「青天を衝け」オープニングテーマが演奏される。作曲は佐藤直紀であるが、佐藤直紀は東京音楽大学出身であり、広上の後輩に当たる。佐藤直紀は、「龍馬伝」でも大河ドラマの音楽を手掛けており、その時はオープニングテーマは広上が指揮したが、「青天を衝け」のオープニングテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫である尾高忠明が担っている。
豊かな広がりと、明治以降も描かれるということで洗練された味わいも持つ「青天を衝け」のオープニング曲。NHK職員の息子で、「大河フェチ」を自称する広上の指揮ということで、思い入れたっぷりの爽快な演奏となった。

6月26日(土)

午後5時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2021大阪公演を聴く。

毎年恒例の「さくらんぼコンサート」。昨年は新型コロナの影響で中止となったが、今年は東京では山形交響楽団芸術総監督の飯森範親による指揮、大阪では同常任指揮者による阪哲朗の指揮によるコンサートが行われる。

飯森範親の積極的な売り込みと、意欲的なプログラミング、映画「おくりびと」にも出演するといった広報戦略によって、「田舎の地味な団体」というイメージを覆して今やブランドオーケストラへと成長した山形交響楽団。中編成の特性を生かして、特に古典派から初期ロマン派の演奏で魅力を発揮。ピリオド演奏にも積極的で、オール・モーツァルト・プログラムの演奏を行った時には、弦楽器もガット弦に張り替えて、ほぼ古楽器オーケストラとして演奏したこともある。


今日のプログラムは、モーツァルトの交響曲第38番ニ長調「プラハ」、ブリテンの左手のピアノと管楽器のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」(ピアノ独奏:舘野泉)、シューベルトの交響曲第3番ニ長調。


指揮の阪哲朗は、京都市出身の指揮者。両親は山形県の出身である。京都市立芸術大学作曲専修を経て、ウィーン国立音楽大学指揮科に学び、その後はドイツ語圏の歌劇場の指揮者として活躍。1995年には第44回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。現在は東京藝術大学や国立音楽大学の特別招聘教授として後進の育成にも当たっている。日本における自宅は大津市内に構えているということで、びわ湖ホール芸術参与でもある。


山形交響楽団の「さくらんぼコンサート」は、ホワイエで行われる山形物産展が魅力の一つだが、今年はコロナの影響で規模を縮小しての開催。さくらんぼと、山形市に本社を置く「でん六」の新作であるさくらんぼ味のでん六豆の販売のみが行われた。でん六豆のさくらんぼ味は私も買って食してみたが、なかなかの美味である。
なお、演奏会終了後には、来場者全員に、東根市産のさくらんぼがプレゼントされる。


山形交響楽団芸術総監督の飯森範親によると、本番前のプレトーク(変な言い方であるが、他に良い言葉がない)を日本で最初に始めたのは自分自身で、山形交響楽団においてであったそうだが、今回も午後4時40分頃に、パイプオルガンの音による開始5分前の合図があり、午後4時45分頃に山形交響楽団専務理事の西濱秀樹が登場してプレトークが始まる。西濱秀樹は、元々は関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長を務めていた人で、赤字続きだった関西フィルの経済状況を好転させた手腕が買われて山形交響楽団に移籍している。

西濱は、「大阪公演には特別ゲストをお招きしております。俳優さんとかじゃないですよ」と言って、特別ゲストであるでん六のゆるキャラ・でんちゃんが登場。でん六の広報担当だと思われる男性も登場して、でん六の新作であるさくらんぼ味の宣伝などを行った。

その後、指揮者の阪哲朗が登場し、曲目の紹介などに移るのだが、さくらんぼの生産で有名な東根市の法被を西濱と二人で来てプレトークを続けることになる。
阪は、「大阪で振るのは久しぶりですが、やっぱり良いホールですね」と、ザ・シンフォニーホールの音響の良さをまず口にする。
西濱によると阪は、関西では「関西出身の指揮者」、山形では「山形県ゆかりの指揮者」として紹介出来る「二度美味しい」指揮者だそうである。

今日やる演目は、先週、山形テルサで行われたコンサートで演奏されたものと同一曲目ということで、そのために前日に違う指揮者と異なる曲目を演奏した後でのノリウチ(「当日に会場に乗り込んで公演を打つ」ことを表す業界用語)が可能になっている。ただ、山形での演奏会ではモーツァルトの「プラハ」がメイン曲目で、大阪とは逆になっているようだ。これについて阪は「元々は事故だった」と語る。大阪でも本来は「プラハ」交響曲がメインになるはずだったのだが、西濱が曲順を変えて書き出したところ、「それでいいんじゃない」ということになり、大阪公演では1曲目と最後の曲が入れ替わることになったようだ。共にニ長調の交響曲であり、20世紀の作曲家であるブリテンの曲を挟んで、オーストリアが生んだ古典派から初期ロマン派を代表する作曲家の同じ調性による作品が対峙するという構図はなかなか面白い。

モーツァルトとシューベルトの共通点について阪は、「どちらともすぐ曲が浮かんで書けてしまう人」と語る。モーツァルトは譜面に修正がほとんどないことでも知られるが(頭の中で全ての音楽が出来上がっていた証拠とされるが、気に入らなかったら破棄して一から書き直したという説もある)「プラハ」に関しては何度もスケッチを重ねていることが分かっているそうだ。

ブリテンの左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」については、阪は「滅多に演奏されなくて、自分が取り上げるのも初めてだが、映画音楽のようなところもある面白い曲」という内容のことを話す。この曲は、ラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲の作曲を委嘱したことで知られるパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄。戦争で右腕を喪う)の依頼によって書かれたものであり、現在は左手のピアニストとして活躍する舘野泉がソリストを務める。ちなみに山形交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者は、舘野泉の息子であるヤンネ舘野が務めており、専務理事の西濱は、「日本のオーケストラで親子共演が聴けるのは山形交響楽団だけ、さくらんぼが貰えるのは山形交響楽団だけ」と宣伝していた。


ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。モーツァルトとシューベルトでは、舞台下手奥に設置されたバロックティンパニが使用され、ホルンもナチュラル使用、トランペットもナチュラルトランペットもしくはバロックトランペットが用いられる。


モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。阪はこの曲はノンタクトで指揮する。
ピリオドの影響で、モーツァルトの交響曲の演奏はテンポが速くなる傾向にあるが、阪は第1楽章ではやや遅めのテンポでじっくりとスケールを拡げ、第2楽章では中庸のテンポで典雅さを描き、第3楽章では快速で快活さを強調する会心の出来となる。

日本で最もピリオド奏法に長けたオーケストラの一つであり、飯森範親とは「モーツァルト交響曲全集」もリリースしている山形交響楽団。阪との相性もバッチリで、雅やかでありながらパワフル且つ音のグラデーションが鮮やかなモーツァルト演奏となった。

なお、山形交響楽団は、「Bravoタオル」や「Bravo手ぬぐい」を公式発売しているため(今日もホワイエで売られていた)、演奏終了後にそれらを掲げる人も多い。


ブリテンの左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」。
20世紀のイギリスが生んだ天才作曲家であるベンジャミン・ブリテン。意欲的な作品をいくつも残しているが、左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」も、ブリテンならでは才気を感じさせるもので、ジャズ風の旋律や、映画音楽のような描写的な部分、シンプル且つクラシカルな曲調から現代音楽的な鋭さを感じさせるものまで、1曲の中でありながら振幅の度合いが激しく、それでいて纏まった印象を受ける優れた作品である。

5月に行われた「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021では、ステージ袖からピアノのところまで右足を引きずりながら歩いて登場した舘野泉だが、今日は車椅子に座って登場。入場時はスタッフに車椅子を押して貰い、退場時などには指揮者の阪が車椅子を押した。

リリカルなピアノ曲の演奏を得意としている舘野泉。今日も冴え冴えとしたタッチで、ブリテンの才気を明らかにしていく。曲調の描き分けも鮮やかで、舘野の器用さが光る出来である。


アンコール演奏は、カッチーニの「アヴェ・マリア」。技術的に完璧とはいかないところもあったが、敬虔な祈りに満ちた感銘深い演奏だった。


シューベルトの交響曲第3番。
31歳という短い生涯の間に、8曲の交響曲を残したシューベルト。だが、前期、中期、後期で作風は大きく異なる。
交響曲第3番は、シューベルトの初期最後の交響曲で、18歳の時に完成している。交響曲第4番「悲劇的」からはロマン派的作風へと大きく舵を取るシューベルトであるが、交響曲第3番は非常に朗らかで、青春の日の歌という趣を湛えている。
全編を通してクラリネットの使い方が巧みで、ウィーンの街を朗らかに闊歩するシューベルトの愉悦感が伝わってくるかのようである。

阪は、右手に持った指揮棒の先を細かく揺さぶったり、左手をグルグル回すといった個性的な指揮姿。身をかがめて指揮することも多い。

中期や後期の交響曲ほどではないが、交響曲第3番にもシューベルト特有の影や毒が潜んでいる。18歳という若さでなぜそのような要素を盛り込む必要があったのか、またその若さで人生の影の部分をいかにして知り得たのかは不明であるが、シューベルトという特異な才能を持った作曲家の核心の部分も丹念に突いた演奏だったように思う。


オーケストラメンバーが退場した後も拍手は続き、阪一人が再び現れて拍手を受けた。

6月27日(日)

午後3時から、京都四條南座で第28回京都五花街合同公演「都の賑い」を観る。祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒の5つの京都を代表する花街の芸妓舞妓が技を競う恒例行事なのだが、昨年は新型コロナウイルス流行のため、初めて中止となった。
なお、秋にはロームシアター京都サウスホールで「五花街の初秋」公演がある。平日のマチネーであるが、アーカイブ付きの有料オンライン配信も行われる予定である。

五花街の内、祇園東を除く四つの花街は、春に舞踊の公演を行うのだが、今年は宮川町の京おどりが規模を縮小して公演を行えただけで、他の花街は公演中止。祇園甲部は、代替公演として弥栄会館のギオンコーナーと八坂倶楽部で「春の雅」を行い、先斗町の鴨川をどりは収録されたものをオンライン配信している。


出演と演目は、祇園甲部(井上流)が上方唄「蛍狩」で、出演は立方が、槇子、小愛、美帆子、市有里、小扇、紗矢佳。地方の唄が、小桃、幸苑、だん満、惠美乃。三味線が、だん佑、ます穂、君鶴、まほ璃。

持統天皇の、「春過ぎて夏来にけらし」の和歌を冒頭に置き、蛍狩りをする芸妓達が、蛍火にジリジリとした恋心を重ねる演目である。蛍籠、扇子、手ぬぐいを使って行われる舞で、何とも絵になる。しゃがんだまま回転するなど、足腰が強くないと出来ない舞が取り入れられているのも特徴である。


宮川町(若柳流)が演じるのは、清元「舟」。出演は立方が、富美祐、ふく佳。地方の浄瑠璃が、ふく葉、弥千穂、富美毬、美惠雛。三味線が、小扇、君有、ふく愛、とし真菜。

江戸・隅田川の渡舟の船頭と船頭を恋い慕う芸者の恋模様を描いた舞である。
隅田川の花火など、江戸の名物を織り込み、不安定な舟の上で、恋路が語られる粋な演目である。


祇園東(藤間流)が演じるのは、長唄「水仙丹前(すいせんたんぜん)」。出演は立方が、まりこ、つね有、叶和佳、雛佑。地方は唄が、美弥子、つね和、富津愈。三味線が、豊壽、満彩希、富多愛。

現在の野郎歌舞伎が発展する前の、若衆歌舞伎(同性愛の対象となったため江戸幕府により禁止になる)や遊女歌舞伎(風紀が乱れるというので幕府によって禁止になる)の粋な部分を再現した演目である。
容姿自慢の男女が、戯れを込めて舞い続ける華やかな作品となっている。


上七軒(花柳流)の演目は、長唄「菖蒲浴衣(あやめゆかた)」。出演は立方が、梅ぎく。地方は唄が、尚ひろ、尚絹、梅嘉。三味線が、里の助、市純、梅志づ。

菖蒲(あやめ)がタイトルに入る作品であるが、同じ漢字である菖蒲(しょうぶ)の方が重要となってくる。五月五日の端午の節句の菖蒲湯、菖蒲酒といった邪気払いの習慣をコロナ退散に掛けて演じられる。


先斗町(尾上流)の演目は、長唄「吉原雀」。江戸の吉原遊郭を舞台とする作品である。出演は立方が、市真芽、市笑。地方の唄が、豆千佳、市穂、久鈴、久桃。三味線が、もみ蝶、市菊、市乃、千鶴。

吉原で出会った遊客と遊女が名残を惜しむ様などが、桜の花と立ち並ぶ吉原の遊女屋を背景に演じられる。江戸を舞台としているだけに、京の雅とは違った気っぷの良さが感じられる舞となっていた。


五花街の舞妓による合同演目「舞妓の賑い」。長田幹彦作詞。佐々紅華作曲による「祇園小唄」がそれぞれの流派の舞で演じられる。出演は、宮川町から菊咲奈、とし七菜、とし菜実、ふく友梨。祇園東から満彩野、叶朋、叶千代、満彩尚。上七軒からふみ幸、勝貴、市すず、ふじ千代。先斗町から秀眞衣、秀芙美、秀千代、秀好。祇園甲部から豆珠、佳つ春、佳つ桃、豆沙弥。地方は唄が、小桃、幸苑、だん満、惠美乃。三味線が、だん佑、ます穂、君鶴、まほ璃。

最初のフォーメーションは、センターが宮川町、下手手前が上七軒、下手奥が祇園東、上手奥が先斗町、上手手前が祇園甲部で、「祇園恋しやだらりの帯よ」まで歌い終わったところで、時計回りに一つずつ場所を移って舞が続けられる。

踊りの流派が違い、振付も異なるため、同じ「祇園小唄」であっても各花街によって踊りはバラバラで、それが面白さとなっている。ラストの「祇園恋しやだらりの帯よ」の「帯よ」のところだけ振付が一緒であることが確認出来る。
2番の「夕涼み」という歌詞のところで祇園東が団扇を取り出して踊るなど、小道具を使うか使わないかといったところも異なっている。

フィナーレは、総出演による「京小唄」。まず舞妓達による舞があり、花道から退場した後で、芸妓達が出演時の格好で現れて舞を披露し、上手、下手、中央の客席にそれぞれ一礼して幕となる。「京小唄」も「祇園小唄」同様、京の春夏秋冬を描いた唄であり、4番とも「ホンに京都はええところ ホンマにぜひきておくれやっしゃ」で締められる。

6月29日(火)

「岩田達宗道場 『フィガロの結婚』」全アーカイブ映像を視聴完了ということで、新たに「フィガロの結婚」の映像を観てみることにする。

選んだのは、佐渡裕指揮トリノ王立劇場管弦楽団ほかによる上演。2015年にトリノ王立歌劇場で収録された映像である。

このところ、顔も声も疲れた感じで、少し気になる佐渡裕だが、この頃はまだ溌剌としている印象である。

衣装は舞台となっている17世紀当時のものを基調としており、出演者などの動きもその頃の上流階級とその使用人を意識していて、洗練されており、ウイットにも富んでいる。柱を使ったセットも効果的であり、特に第4幕の暗闇の庭のシーンの顔が見えない者同士が動く場面で、「障壁」として上手く用いられている。

出演:ミルコ・パラッツィ(フィガロ。バス)、エカテリーナ・バカノワ(スザンナ。ソプラノ)、ヴィト・プリアンテ(アルマヴィーヴァ伯爵。バス・バリトン)、カルメラ・レミージョ(伯爵夫人=ロジーナ。ソプラノ)、パオラ・ガルディーナ(ケルビーノ。メゾ・ソプラノ)ほか。

女性演出家のエレーナ・バルバリッチは、意図的にかどうかは分からないが、登場人物が女性を貶める内容のアリアを強調しているように見え、当時の女性蔑視を露わにしたいという思いがあったのかも知れない。一方で、「博愛」を打ち出したナンバーはこの公演でもカットされており、モーツァルトやダ・ポンテの意図を汲むという意味では合格点に達してはいないように思われる。ただ出演者をチャーミングに見せる演出は施されており、全体像よりも演技に力を入れるタイプの演出家のようにも見受けられる。
子役を登場させているのも特徴だが、特に深い意味はなく、伯爵邸の賑やかさと多様さを表しているに過ぎないようだ。
アンサンブルキャストをストップモーションにするところなどは映像的である。

今回のケルビーノは成熟した感じで、少年というよりも青年のようであり、第4幕などではやや邪悪な印象も受ける。個人的には女性的で、いたずらな感じのケルビーノが好きである。野田秀樹の演出で、カウンターテナーがケルビーノ役を演じているのを観たことがあるが、やはりケルビーノは男性がやってはいけないと思う。男性がやっているというだけで笑えなくなってしまう。
なお、今回の「フィガロの結婚」では、ケルビーノのアリア「恋とはどんなものでしょう」で伴奏をするのは伯爵夫人で、ギターではなくヴァイオリンをピッチカートで演奏するという趣向となっている。

フィガロを演じるミルコ・パラッツィは、顔がどことなく博多華丸に似ており、親しみが持てた。

佐渡の指揮するトリノ王立劇場管弦楽団は、弦の音色が艶やかであり、爆発力とデリケートさを兼ね備えている。ピット内を映した映像を見ると、弦楽はかなり徹底したノンビブラート奏法を行っており、ピリオドを意識していることがわかる。


2021年7月