「ディーバ」 「盲目」 「長恨歌」 「漂泊」 「カモメの案山子」 「サクリファイス」 「喪失点」 「M・C(マイ・コメディアン)」

          「左手」 「オーレリア」 「悲夢(ひむ)」 「暗い鏡 (オフィーリアに)」 「悲鳴」 「どこからも遠く離れて」 「沈黙」

          「意識の中に閉じこめられるとして」 「空爆」 「死の都」 「死の河を渡る時」 「心臓」 「消滅」 「死の谷」 「切り傷」 「ジェノサイド」


                          「ディーバ」

                          黒衣は血の色の風にたなびく

                          静謐が佇んでいる

                          あなたの歌声の中に未来が浮かんでいる

                          優しく孤独な無限の光が

                          ロザリオの煌めきは海を圧倒する

                          移ろいやすい虚ろな鬱屈

                          神は死に、その墓標に赤いストックをあなたは捧げる

                          (youyuan、youyuan)

                          体の中の青い湖の波をあなたはそっと静める

                          世界を肯定せよ。生きよ

                          輝きよりも煌めきよりも尊い闇をあなたは創造した。あなた、飢えたディーバよ

                          あなたが降らした雨を

                          今、天上に戻そう

                          次に来る時代をもっと良くするために

                          あなたは私に語ってくれた。今度は私が話す番だ

                          あなたは名前を教えてくれた。今度は私がセイメイをつげよう

                          瞳の中で、街は眠り続けている。二人でそれを起こそう

                          正しい名の下に、笑みを笑みで送れるように

                                            2004/5/30

 

 

                          「盲目」

                          あなたに刃を向ける資格はない

                          眠るがいい。言葉すらない闇の中で

                          月は永遠に出ないでしょう。何も照らさぬ黒一色の大地に口づけなさい

                          そして笑いを甘受しなさい。生きようという願いは棄てること

                          霧の中で信号が明滅する。あなたは知るべきだったその意味を

 

                          あなたに戸惑いは似合わない。あなたは見つめるべきだった、自分自身を

                          彫像が体を占拠する。プラスティックなざわめき。あなたは見たのか? 見たとしたら何を?

                          あなたが持っていたのは凶器です。狂気です。驚喜です

                          差し違えは男のやることだ

 

                          あなた方はまだ陽の秘された場所にいる。太陽は温かいものです

                          オオカミたちは窓の外。涼しい夜は雲の上

                          光は全て消えました。青も黄色もありません

                          盲目ならば盲目なりに耳を澄ませるべきでした

                          風も息吹も雄弁です。あなた方が聞き取れないだけ

                          軍港は群青の波が群舞する

                          最初の名はカイン、ウルトラマリン、示されたサイン

                          裏表のコイン、今宵現れるのはいずれの顔か

                          瀬見の小川の清ければ、下鴨のぎょうこうはありえたものを

                                             2004/6/2

 

 

                                                      「長恨歌」

                          悼み。蒼穹は遠く退く。陽炎の微かな嘆き。ひだれの時、声はさやかに木霊する

                          天は産む。瞬間瞬間を、真実の街を、それを広める人を

                          ひたすらなる者よ、後なる憂いに備えよ。幸福は山の彼方に没せんとす

                          「美」という名の島が現れる。目では捉えられないような

                          シベリウスの73番目の響き

                          鐘よ鳴るがいい。明るく優しく強く鳴るがいい。その音を聞けるのは世界で私のみだ

                          傀儡には意志がない。縊死を選ぶこともない。それは決定的な事実

                          理を断るいわれはない。それが無用だとしても

                          ここに示されたのは心情であり信条である

                          真情であり、新生である

                          私に闇を見るというなら光はどこにある?

                          影はより強い光の中に

                          求めるのは「知」、「痴」ではない

                          「血」が流れる。「知」があればそれを「治」せるのだが

 

                          恨み。颯爽たる滝の遺言。目を覚ますのだ大地よ

                          潤いを地上に与えたのは私

                          如君有眼光

                          我給君希望

                          永遠的思想

                          離開了形象

                          ここは眠りの場。天に地に川に山に陵は栄える

                          語るべきことはなにもない

                          語られることだとしても

                          あるのは一瞬の煌めきと

                          それを維持する力

                          哲学があるならば

                          見つけるのは容易

 

                          まだ穢れなき若き日の

                          儚い宴、燃える月

                          生あるものは夢の中

                          死したる鬼に影はない

                          読み取れぬ日々、古い罅

                          悩めることと迷い事

                          糸の外れた鳴らぬ琴

                          月は東に日は西に

                          怨霊達は藪の中

 

                          世界の中心はまさにここ

                          私は問う。ここから、ここより

                          光が強すぎて見えないなら

                          左手をそっとかざして下さい

                          戸惑いはどこに?

                          心臓の中に

 

                          痛み。全てはここより生ず

                          傷み。私の傷を抉るナイフ

                          悼み。それは私のもの

                          

                          もしもし、私です。ハイジャックに遭いました

                          応答不能です

                          私の墓に桜桃を捧げて下さい。小さく上品なあなたよ

                                        鴨東より 2004/6/4

 

                                                     「漂泊」

                          我が言葉は

                          風の吹きさらすままにせよ

                          いかなる墓標も建ててはならない

                          風の吹きさらすままにせよ

                          死がいかに重いとしても

                          一秒ごとに祈るなら

                          例え宴が終わるとしても

                          悔やむことはないだろう

                          そう

                          例え宴が終わるとしても

                          絶対を思うなら

                          屍を踏み越えて行け

                          思えないというのなら

                          我が肉(しし)を切り刻むがいい

                          死者は何も語りはしない、鼓膜の外側には何も

                          ここからは私の領域

                          誰も来てはならない

                          足下に地球はあるか?

                                    2004/8/29

 

                          「カモメの案山子」

                          軋む音は風の上にありて絶ゆることなく色を変え移ろいゆく中に永遠を封じ込め

                          あるいは晒し刑として魯迅より先に街頭に立ちてみすぼらしき姿を見やればそれより早く

                          言葉は永遠に出口を見失ったあるいは出口は永遠に言葉を見失った

                          ないしは印象は悲しみより速く心にいたり心はこの感情より速く虹彩を潤し

                          そしてそれが無意味か有意味かもしくは存在の絶えられない

                          いや絶えられない存在の存在する

                          軽さだとか重さだとかそれが喚起するイメージそれが間違いだというならば心象より

                          単語の早く生まれるはまたは感覚の鋭敏なる反応そして反射によりて

                          瞳を濡らすは偽善もしくは偽悪だというよりも

                          潜在せる内奥のないしは煽動する才能の

                          言い換えるなら「生まれいずる悩み」からあるいは「悩みより生まれいずる」より生じる

                          心の動きに名前を付けるなら

                          それを名付け得る者は

                          私にしくはなく

                          そして…

 

                          カモメは死んだ。言葉はいらない。

                                   2004/8/29

 

                          「サクリファイス」

                          我々が神の忠実な僕(しもべ)ならば

                          その意図を受け入れねばならない

                          だが、言葉にならない宣告に

                          我々は下らねばならないのか

                          バラを美しいと思うことにも香しいと言うことにも

                          神の意志が存在するならば

                          我々は我々という存在そのものを手放さねばならない

                          私というものは存在しない

                          鏡の中の映像は鏡の中の方が真実ということか

                          豊かな水が脳を潤していく

                          そして全てを奪う

                                   2004/12/28

 

                          「喪失点」

                          あなたの姿が見えない

                          あなたは確実に存在するのに

                          風に似た囁き

                          多くの声

                          ここにはいない私の嘆き

                          鼓膜を破るのはそれだけ

                                   2004/12/28

 

                          「M・C(マイ・コメディアン)」

                          あなたの子はみな死産でした

                          全てあなたのせいですわ

                          マイ・コメディアン

                          あなたは「血」について語るけれどもどうやら漢字が違うようです

                          信じないものについて信じているふりをして

                          人を惑わすのは大罪です

                          言葉を信じないあなたに

                          きっとこの心は通じないのでしょうけれど

                                           2005/7/31



                          「左手」

                          傷ついた

                          左手

                          沈黙したままの

                          神々の宿る場所

                          私の最も

                          神聖で最も毒を秘めた部分

                          私の第三の心過ぎ去った思い出の積もるところ

                          人々を導く腕

                          さよならの合図を送る手

                          もう一人の私

                          誰かを求める動き

                          叫び

                                  1997/2/4




                           
「オーレリア」

                           もう一つの世界が

                           無限にひらけている。

                           そこへ行こう。

                           渚から渚へと

                           多くの影を引き連れて。

                           過ぎ去っていく

                           音の無い日々。

                           顔のない人々の手招き。

                           人形達の微笑み。

                           鯨の墓場。

                           そんなものは全て捨てて

                           渚から渚へと

                           私には知られることのない

                           私だけの世界に行こう。

                           長い長い影を引き連れて。

                                      1997/2/7




                           
「悲夢(ひむ)」

                           生き始める前から

                           生を剥奪されてしまった

                           そのような気がしてならない。

                           いつか見た夢は

                           いつの間にか消え、

                           変わって醜悪な幻影(イメージ)が

                           私の心に居座り続けている。

                           なぜか、という問いかけは

                           群青色の闇の奥へと吸い込まれ、

                           その答えは返ってこない。

                           誰かの笑い声が

                           私の頭の中で起こる。

                           それは誰かの声だ、私の声ではない。

                           私は、その誰かを刺し殺そうとした。

                           しかし現実のナイフは私の腕に突き刺さり、

                           赤い血が噴き出した。

                           誰かのではく、私の血が。

                                     1998/2/19




                           
「暗い鏡 (オフィーリアに)」

                           薄墨色の水面(みなも)に

                           黒い木々は映り

                           眠りを妨げられたフクロウたちが

                           水底に潜む何かの陰をじっとにらんでいる。

                           風はない、

                           何の匂いもしない

                           いや……

                           ……やはりしない。

                           空気を震わせるのは

                           得体の知れない鳥の鳴き声ばかり。

                           私は水面に手を触れる。

                           静寂を守っていた鏡の面が

                           ついに砕ける。


                           水の鏡

                           砕け漂う木洩れ陽に

                           手を差し伸べし十四の春


                           私が崩れてゆく。

                           体の中で、多くの人々が

                           私の耳に口を当てるようにして囁く。

                           血が波立つ、揺れる、蠢く。

                           瞳の裏側に、幾つもの風景が訪れる。

                           もう私は自分の息づかいしか聞くことが出来ない。

                           木々の葉ずれのように

                           細胞がざわめく、ざわめかせる者がいる。


                           冷たい。

                           手に触れた太陽に温もりはない。

                           私の求めるものは、もっと遠くにある。

                           手を遠くへ、もっと遠くへ、

                           足よ、力ある限り前へ。

                           暗い鏡の中に私はいる。

                           もはや抜け出せないのだと思う。

                           フクロウたちが

                           私に向かって何か叫んでいるような気がする。

                           でももう私は

                           彼らの言葉を聞くことが出来ない。


                           鏡の中で

                           私は私の姿を探していたのだろうか。

                           地球が公転をやめないように、

                           私の意識は私の周りをやむことなく回り続ける。


                           暗い鏡の表で

                           夢を見た。

                           空を飛ぶ夢だ。

                           でもわかっていた

                           空は飛んでいるわけではないと

                           鳥になれたわけではないと。

                           いつか目覚めたとき、

                           私はやはり私でしかないと

                           知ることになるのだ、きっと。

                                       1998/7/11




                           
「悲鳴」

                           真夜中過ぎに悲鳴に近い

                           叫び声を聞いたのだ

                           あるいは幻聴かも知れないが

                           この辺りで何かが起こったのは事実のようだ

                           ところでこの辺りとはどこだろう

                           私の住む街のことなのか

                           私の耳とその奥の世界なのか

                           あるいは無辺な場所なのか

                           はっきりとはわからない

                           でもとにかく

                           真夜中過ぎに悲鳴にも似た

                           叫び声は木霊する

                                   1999/5/29




                           
「どこからも遠く離れて」

                           どこからも遠く離れて

                           誰の姿をも見ず

                           誰の声をも聞くことなく

                           風の揺りかごの上で

                           一人眠りに落ちるとき

                           喪われた記憶の淵から

                           「それ」が静かに這い上がってきて

                           ふっと空に舞い上がるのを感じた


                           軋みとは

                           そこにあるべきでないものが

                           そこの存在することをいう

                           誰もが眠りから逃れられないのと同様

                           誰も軋みを止めることは出来ない

                           思い出が

                           目の中を血で満たしていく

                                     1999/1/14




                           
「沈黙」

                           青い雨の中で

                           ただ沈黙する人々よ

                           見るがいい己の罪を

                           汝、何故に殺したるかを

                           記憶の片隅の

                           遠く、どこからも離れた場所で

                           汝、何故に手を下したるかを

                           それを今、

                           目の前に浮かべよ

                           水底の月の影の如く

                           鋭く、優しく、柔らかな影像を

                           そしてその

                           錆びついた記憶を

                           ブラウン管を打ち砕くが如く壊せ

                           目から血を流すまで激しく

                           封じられた場所から呪いを解き放つために

                           黒い掌が

                           汝を捉え

                           握り殺すまで

                                   1999/2/16




                           
「意識の中に閉じこめられるとして

                           意識の中に閉じこめられるとして

                           それが死の床に沈み込むことだとして

                           この心の世界が

                           終わりのない地獄として

                           私の頭上に降り注ぐのだとしたら


                           意識の中に閉じこめられるとして

                           肉体を失った牢獄に

                           永久に浸り続けることになるのだとして

                           自ら築き上げた世界に

                           胸を切り裂かれるのだとしたら


                           意識の中に閉じこめられるとして

                           そこからもう抜け出せなくなるのだとして

                           かっての自分に復讐されるのを

                           甘んじて受けいれねばならないのだとしたら


                           意識の中に閉じこめられるとして

                           それが終着駅なのだとして

                           幾千の甘い思い出が

                           たった一つの悪夢によって

                           打ち砕かれるのだとしたら


                           意識の中に閉じこめられるとして

                           愛する人がそばにいないとして

                           ただ一人荒野を

                           あてどなくさまようことになるのだとしたら


                           意識の中に閉じこめられるとして

                           魂が恒久であるとして

                           そこが麗しき土地であるように

                           こことは全く違った世界であるようにと

                           私は願うのだ

                           あらゆる拘りと

                           タナトスの刃から逃れて

                           理不尽な欲求からも

                           私をせせら笑う多くの人々からも逃れて


                           私は私を豊かにしたい

                           もっともっと人間らしくありたい

                           あした目覚めるとき

                           目の中とその奥に

                           まぶしいほどの輝きを

                           感じられるようでありたい

                           「私は私でありたい」

                           拙いありふれた言葉だけれど

                           そうとしか言えない

                           もっともらしい詩的な言葉が

                           いかに虚偽に満ちたものであるか

                           私は知っているから

                           「私は私でありたい」

                           そして私は私の心の内部を

                           もっと切り開いてゆきたい

                           私が私自身に

                           またかってのように誰かに

                           傷つけられ蝕まれることのない

                           安住の地を求めて

                           意識の中に閉じこめられるとしても

                           「それでかまわない」と言えるよう


                           そしてそう言えるようになったら

                           死よ

                           私はお前を歓迎する

                                      1999/3/11




                           
「空爆」

                           手渡された幾つかの言葉の断片が

                           彼らの標的なのだ

                           その毒に満ちた暴力に対して

                           彼らは全く別の堅固な思想に基づく

                           形而上的、流動的、非現実的手段によって

                           人々を破滅に導こうとするのだ


                             世界は内側に向かってのみ開かれている

                             よって外界というものは存在しない

                             彼らが外界に通じるドアだと信じているそれは

                             暗闇を導き入れるための装置に過ぎない


                           彼らが燃やしているのは

                           彼ら自身の家だ

                           彼らが打ち壊そうとしているのは

                           彼ら自身のイデオロギーだ

                           彼らが殺そうとしているのは

                           彼ら自身の影なのだ


                             思考の細胞分裂は

                             その人の知能の優劣によって

                             回数が決められているわけではない

                             経験の度合いによって

                             決定されるわけでもない


                           生きるとは一種の病である

                           人間が宿命的に背負わねばならない

                           一種の精神病の異名なのだ

                           たとえ体と心が空爆によって蜂の巣にされようとも

                           人は安易には死という選択肢を思い浮かべたりはしないものだ

                           それどころか傷つけば傷つくほど

                           生きようという意志を

                           より強固に、堅牢にしていくものなのだ


                             「殺せ」という言葉を

                             一度も発したことのない人間などいないであろう

                             丁度心に傷を負ったことのない人間が

                             存在しないのと同じように


                           意識は常に片側から見つめられる

                           そして現れるのは真実から最も遠い偶像である

                           宗教ではないが

                           偶像を実像と勘違いするような

                           愚かな行いは禁止してしかるべきだと思う


                             他者を空爆するのは

                             常に愚か者の方だ

                             無知なるが故に

                             他人を平気で攻撃できる

                             愚鈍なるが故に

                             自己を平然と正当化できる

                             だが攻撃する人間を礼賛する者は

                             それよりも更に愚かだ

                             地獄の犬さえ

                             食いつこうをしないほど愚かだ


                           焼夷弾の肉を焼く匂いを

                           嗅いだことがあるか

                           おぞましくて

                           だが不思議と性欲を刺激する

                           あの奇妙な匂いを

                           ある種の人々は

                           その匂いに

                           あたかも蝿のように群がるものだ

                           彼らは他人の死を見つめることをもって

                           無上の愉悦とするのだ

                           自分の前で、ある人間が

                           目に見えて、消えていくのを

                           この上ない喜びと感じるのだ


                             空爆警報発令

                             敵機は北北西の方角

                             高度500メートル付近にあり

                             全軍は早急に

                             迎撃態勢に入れ!


                           自分の身は自分で守らねばならない

                           それは自明のことだ

                           そのための最も有効な手段は

                           自分の中に

                           己の敵を作らないことだ


                             我々は負けない

                             我々は必ず我々の祖国を守り抜いてみせる

                             ハイル! ハイル!!


                           天空に黒々と

                           呪いの絵文字が描かれる

                           人々の脳髄を支配する

                           青を宿した文字が


                             正義

                             我々は正義のために立ち上がったのだ


                           ブラウン管の中から

                           爆弾は投下された

                           我々にはもう逃げ場がない


                             幽霊がこの街を埋め尽くす

                             忘れられたはずの人々が

                             この街を呪いによって破滅へと導く


                           我々にはもう逃げ場がない

                           もうこの場所はどこでもない

                           存在してはいけないはずの場所に

                           我々は立っている


                             繰り返す

                             空爆警報発令


                           我々は帰る場所を失った

                           流浪の民だ


                             大本営発表、本日……


                           さあ瞳をえぐれ

                           胸にナイフを突き立てろ

                           飲み食い騒ぐ自由があるように

                           殺す自由、殺される自由がここにだけはある


                             我々は選べない

                             何一つ選べない


                           華々しく光は溢れ

                           花は散り

                           骸(むくろ)は重なり

                           霊魂は彷徨い


                             目の前に現実が横たわっている

                             正視せよ

                             目をそらしてはならない


                           想い出の反乱に

                           心は千々に乱れ

                           巻き起こる騒乱に

                           突然、意識は乱高下を始める


                             私は私はである

                             全く正常である


                           世界は水晶の中に

                           割れやすい水晶の中に


                           ここは約束の地

                           例え七たび殺されようとも

                           霊は千里を走る風となって

                           この約束の地に

                           必ずやたどり着くことだろう

                           ここは私のための土地だから

                           私だけのための土地だから


                             現実は

                             ふいに目の前に現れた

                             もう後戻りはできない

                             ここかしこに煙が上がる

                             周りの人々が次々に死んでいく

                             これが世界なのだ

                             これこそが世界なのだ


                           これは夢ではない

                                    1999/4/4




                           
「死の都」

                           道の傍らに

                           連なる数々の墓名碑

                           名も残さずに死んでいった人々の

                           輝かしくも重たい声

                           意味もなく低く虚ろに

                           交わされる言葉

                           前方で微かに揺れる光がある

                           その光がガラスのように透明な壁に

                           反射しながら遠ざかる

                           生には踏みとどまることなく

                           死には踏み込めない

                           魂の凪の岸辺で

                           多くの手が打ち振られ

                           数多の目蓋が閉じられる

                           イザナミの儀式によって

                           境界は波打ち

                           人々の視力は封じられる

                           そして彷徨い始める人と

                           彷徨い続けている人々は交じり合い

                           死の都が

                           土と二酸化炭素とカルシウムをエネルギーとして

                           この世の裏側で大きく呼吸を始めるのだ

                           ここには絶対的な美があり

                           ここには不変の死がある

                           人々は死の中を生きる

                           死を枕として眠り

                           死を貪り続ける

                           死の光の作用により

                           我々は心を吸い取られ

                           ガラス色の壁の向こうへと

                           肉体は堕ちてゆくのだ


                           死はここに始まり

                           ここで始まる前に

                           すでに終わっている

                                  1999/9/10




                           
「死の河を渡る時」

                           死の河を渡る時

                           水は凍りつきそうなほど冷たく澄み

                           足に染みついた生を

                           優しく浄化してくれることだろう


                           死の河を渡る時

                           風はその翼を折り

                           心細やかな凪を生んで

                           疲れ切った体を

                           そっとなでてくれることだろう


                           死の河を渡る時

                           光は気を利かせて黙り込み

                           傷を負った瞳に

                           甘い口づけをくれることだろう


                           死の河を渡る時

                           記憶は糸のように意識からスッと引き抜かれ

                           灰色一色の荒野には

                           一筋の私の足跡だけが

                           残されることだろう


                           死の河を渡る時

                           時間は私一人のために

                           胸ビレの動きを止めて

                           消えていく私の顔を

                           じっと見つめていてくれることだろう


                           死の河を渡る時

                           その河を自力で渡り始めた時

                           大いなる誰かの手が私を抱きとめ

                           そして私は

                           天国からも地獄からも遠い

                           私だけの場所にたどり着いて

                           夢の味のする柑橘を頬ばりながら

                           平穏な死を生きることになるのだろう


                           永遠の向こう側にある静寂が

                           銀河系の叫びによって

                           打ち砕かれるその日まで

                                   1999/9/11





                           
「心臓」

                           白い服を着た心臓が

                           風の傍らで揺れ動いている

                           眠るでもなく

                           目覚めるでもなく

                           虚ろに口を開いたまま

                           意識の対岸で

                           呼吸を続けている

                           心臓の上を雲は日付のない日々のように通り過ぎ

                           風景はイギリスの一月の天気のように移り変わる

                           あたかも人生最後の瞬間のように

                           酸素は日射しに抱かれて雪のように舞い

                           遠近感を失った時間の中で

                           心臓はゆっくりと

                           大地に向かって両手を広げた

                                    1999/10/8





                           
「消滅」

                           記憶は言葉を持たない


                           日々は霧の彼方へと遠ざかりつつある

                           白濁した闇が瞼の上に落ちて

                           現実は掌から消滅する


                           月の上を歩けば

                           足跡は孤独の表面に刻みつけられ

                           吐く息は午後の太平洋を走る波のように

                           揺れ動く木霊となる


                           私は思い出すことが出来ない

                           自分の本当の名前を

                           自分の本当の顔を

                           その表情を

                           今いる場所を

                           目指していた未来を


                           地球は鐘のように打ち鳴らされ

                           時間は止まり木に足を掛け

                           翼を畳む


                           誰かの白い手が

                           私の頬に触れる

                           それが誰の手か

                           私にはわかっているはずなのに

                           私はその手の主の名を

                           思い出すことが出来ない

                           そして全ての音は空気中で断ち切られ

                           無重力な沈黙の影が震え

                           意識は帰るべき場所に帰還を命じられる


                           誰かの手が振られている

                           螢の灯のように遠く幽かに

                                    1999/10/8





                           
「死の谷」

                           風はない

                           死の谷で蠢くのは

                           過ぎし日の亡霊達

                           かつての私の含む歴史的記憶の数々だ

                           黒と白の谷間に

                           赤い川が流れ

                           言い尽くされた言葉が

                           空気の只中へと吸い込まれてゆく

                           鬱々たる木々達が

                           聞き覚えのない歌を歌う時

                           世界は反転し

                           月と砂漠の上にのみ

                           時間は流れる


                           世界は死の瞬間を

                           欲している

                                1999/10/8





                           
「切り傷」

                           傷

                           絶ち切られた過去と

                           奪われた現在と

                           崩壊を余儀なくされた未来の痛み

                           ここにいる私は

                           どの時代の私でもない

                           傷口から侵入した思想によって

                           私はいかなる私からも遠い

                           分裂し分断された私になってしまった

                           そして言葉だけが

                           虚しく私をなぐさめる

                           だが言葉が消えた時

                           私の前に現れるのは

                           絶望よりも深く暗い

                           灰色の永遠の

                           生と死

                                1999/10/8

 

                           「ジェノサイド」

                         人々は目を遠ざける

                             今目の前にあるものから

                             遠くの旗に賞賛を送る

                             それが正しいことだと信じて

                             これまで経験しなかったこと

                             これまで身内で起こりえなかったこと

                            そうしたことは永久に発生しないと

                            無意識に信じている

                            遠くの旗が揺れている

                            人々は拍手を送る

                            近くでは猫が寝転び

                            それが実は猫ではなく人間であるということがわかる

                            だが人々は目を遠くにやる

                            「それ」はここでは起こってはいけないことなのだから

                                2015/04/03






                                   去江与司厳選詩集